・・・これはむしろあまり遅きに過ぎると思われるが、いったい英国の流儀としては怪しむに足らぬかもしれない。ドイツでは一八九九年以来高層気象観測所を公設し、ことにカイゼル自身がこの方に力瘤を入れて奨励した。カイゼルの胸裡にはその時既に空中襲英の問題が・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・りんごの落ちるを怪しむ人があったので万有引力の方則は宇宙の万物を一つの糸につないだというのは人のよく言う話である。基礎的の原理原則を探り当てる大科学者は常に最も無知な最も愚かな人でなければならぬ。学校の教科書を鵜のみにし、先人の研究をその孫・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・それはとにかく、グロテスク美術が自然や文明の脅威から生れるものとすれば、あらゆる意味で不安な現代日本で産み出される絵画がこういう傾向をとる事は怪しむに足らないかもしれない。今の人間が鉄と電気の文明から受ける脅威は、未開時代の蛮民が自然から受・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
物理学は基礎科学の一つであるからその応用の広いのは怪しむに足らぬ。生命とか精神とかいうものを除いたいわゆる物質を取扱って何事かしようという時にはすぐに物理学的の問題に逢着する。吾人が日常坐臥の間に行っている事でも細かに観察・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・ 喫茶店などで見受ける若い男女に活動仕込みの表情姿態を見るのは怪しむまでもないが、これが四十前後の堅気な男女にまで波及して来たのだとすると、これはかなり容易ならぬ事かもしれない。 天平時代の日本の都の男女はやはりこういうふうにして唐・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ ある時、火事で焼け出されて、神社の森の中に持ち出した家財を番している中年の婦人が、見舞いの人々と話しながら、腹の底からさもおかしそうに笑いこけているのを、相手のほうでは驚き怪しむような表情をして見つめているのを見かけた事もある。 ・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・事をなすに当って設備の道を講ずるは毫も怪しむに当らない。或人の話に現時操觚を業となすものにして、その草稿に日本紙を用うるは生田葵山子とわたしとの二人のみだという。亡友唖々子もまたかつて万年筆を手にしたことがなかった。 千朶山房の草稿もそ・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・二人の間に忽ち人情本の場面がそのまま演じ出されるに至ったのも、怪しむには当らない。 あくる日、町の角々に雪達磨ができ、掃寄せられた雪が山をなしたが、間もなく、その雪だるまも、その山も、次第に解けて次第に小さく、遂に跡かたもなく、道はすっ・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・いかにこの嘘が便宜であるかは、何年となく嘘をつき習った、末世澆季の今日では、私もこの嘘を真実と思い、あなた方もこの嘘を真実と思って、誰も怪しむものもなく、疑うものもなく、公々然憚るところなく、仮定を実在と認識して嬉しがっているのでも分ります・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・までの醜と見えず、娘時代に既に斯の如くにして、此娘が他に嫁したる処にて其夫が又もや不身持乱暴狼藉とあれば、恰も醜界を出でゝ醜界に入るの姿にして、本人の天性不思議に堅固なるものに非ざれば間違いの生ずるも怪しむに足らず。世間に言う姦婦とは多くは・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫