・・・ほのかにもあわれなる真実の蛍光を発するを喜びます。恐らく真実というものは、こういう風にしか語れないものでしょうからね。病床の作者の自愛を祈るあまり慵斎主人、特に一書を呈す。何とぞおとりつぎ下さい。十日深夜、否、十一日朝、午前二時頃なるべし。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・しかしこれは恐らく誰の罪でもあるまい。自分はこの事を考えると、何よりも年老いた父に気の毒だ。せっかく一身を立てさせようと思えばこそ、祖先伝来の田地を減らしてまで学資を給してくれた父を、まあ失望させたような有様で、草深い田舎にこの年まで燻ぶら・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・実際今の世の中に、この珍々先生ほど芸者の好きな人、賤業婦の病的美に対して賞讃の声を惜しまない人は恐らくあるまい。彼は何故に賤業婦を愛するかという理由を自ら解釈して、道徳的及び芸術的の二条に分った。道徳的にはかつて『見果てぬ夢』という短篇小説・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・実際やって見ないから分らぬが、恐らくできますまい。できたらよかろうと思うだけです。非常に経済なことにはなるでしょう。 こんな考を起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑しているように思うのです。現にこの・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・独見もでき、翻訳もでき、教授もでき、次第に学問の上達するにしたがい、次第に学問は六ッかしくなるものにて、真に成学したる者とては、慶応義塾中一人もなし。恐らくば、日本国中にも洋学すでに成れりという人物はあるまじく、ただ深浅の別あるのみ。・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・それは恐らく実験のない人には気の附かぬ事である。 余は行脚的旅行は多少の経験があるが、しかしこの紀行にあるように各地で歓迎などを受ける旅行はまだした事がない。毎日毎日歓迎を受けるのは楽しい者であるか苦しい者であるか余にはわからぬが時とし・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・けれども一番波の強いところだ。恐らく少し小さいぞ。小さい。波が昆布だ、越して行く。もう一つ持って来よう。こいつは苔でぬるぬるしている。これで二つだ。まだぐらぐらだ。も一つ要る。小さいけれども台にはなる。大丈夫だ。おれははだしで行こうかな。い・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・このところは、恐らく溝口氏自身も十分意を達した表現とは感じていないのではなかろうか。勿論俳優の力量という制約があるが、あの大切な、謂わば製作者溝口の、人生に対する都会的なロマンチシズムの頂点の表現にあたって、あれ程単純に山路ふみ子の柄にはま・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ ――恐らく、妻は死ぬだろう。 彼は妻を寝台の横から透かしてみた。罪と罰とは何もなかった。彼女は処女を彼に与えた満足な結婚の夜の美しさを回想しているかのように、端整な青い線をその横顔の上に浮べていた。 二・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・これから起こる事も恐らく予期をはずれた事が多いでしょう。私はいろいろな事を考えたあとでいつも「明日の事を思い煩うな」という聖語を思い出し、すべてを委せてしまう気になります。そうしてどんな事が起ころうとも勇ましく堪えようと決心します。 し・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫