・・・他人の常言も我耳に新しく、恐るべきを恐れず、悦ぶべきを悦ばず、風声鶴唳を聞きて走るの笑をとることあり。かくの如きはすなわち耳なきに若かず。ゆえに万国の歴史を読まざるものは、聾者に劣る。第七、脩心学 人は万物の霊なり。性の善な・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・然るに婦女子の志の有形無心の文明に誘われて漸く活溌に移るの最中、あるいはこの想像画をして実ならしむるなきを期すべからず、恐るべきにあらずや。男子の不品行は既に日本国の禍源たり、これに加うるに女子の不品行を以てす、国のために不幸を二重にするも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・複雑な箇々の関係や、恐るべき人性の奇蹟、悪業をガッと掴む事も見る事も出来かねる。単純な、適当な言葉で云えば非常な喜びで我を忘れる事も、深い懐疑に沈潜する事も、こわいのである。自分が失われるだろうと云う予感が先ず影で脅す、脅かされる丈の内容の・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ その死ぬ一人が、又他に一人を殺すのは、恐るべき事ではございませんか? もっと具体的な例をとって申せば、一人の人が対手に愛を失ったのは、もう其で充分な涙であるべきでございます。其が、愛を失った上に、魂の尊重すべきをさえ忘れるのは、更・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 療養所の医者と勤務先との間に連絡ないことは、恐るべき金、時間、精力の浪費を来して居る。消耗をいとわぬロシア人のうねりの大きな純然たるロシア的不便さだ。 ○日 ファイエルマンがこういう話をした。レーニングラード附近の或田舎で・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ この恐るべき三年間を始りとして、バルザックは終生近代資本主義経済の深奥のからくりにふれざるを得ない立場におかれるようになった。彼は金の融通の切迫した必要から銀行の組織に精通し、パリじゅうの高利貸と三百代言を知り、暫くではあるが公債のた・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・おのおの手には帳面を持ち、その行為がよいと批評されれば、人生に於けるあらゆる斯の如き種類の行動の下に、よし、と書き込み、悪いと云われればまた、同じ総体を、一言の下に、恐るべき悪行と断定する。人生の、あらゆる行為の価値は、明に個々の行為者に属・・・ 宮本百合子 「深く静に各自の路を見出せ」
・・・ところが縦に垂直線を引くと、恐るべき結果が生じた。窓がすっかり壁の中仕切のところへ飛び込んでしまったばかりか、明り窓は煙突の上にのっかってしまっている。ゴーリキイは、その時の困惑をまざまざと回想しながら書いている。「私は、長い間泣き面をして・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ただ彼に揺すられながら、恐るべき占から逃がれた蛮人のような、大きな哄笑を身近に感じただけである。「陛下、いかがなさいました」 彼は語尾の言葉のままに口を開けて、暫くナポレオンの顔を眺めていた。ナポレオンの唇は、間もなくサン・クルウの・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・石は意志を現す、とそんな冗談をいうほどまでに、彼は、長年の生活のうちこの石からさまざまな音響の種類を教えられたが、これはまことに恐るべき石畳の神秘な能力だと思うようになって来たのも最近のことである。何かそこには電磁作用が行われるものらしい石・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫