・・・赤犬の肉は黴毒の患者に著しい効験があると一般に信ぜられて居るのである。太十は酷く其胸を焦した。五 次の日に懇意な一人が太十の畑をおとずれた。彼は能く来た。そうして噺が興に乗じて来る時不器用に割った西瓜が彼等の間に置かれるので・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺病とは没交渉の赤痢であって見れば、単に博士の名で肺病を担ぎ込んでは勘違になるかも知れない。博士の事はそのくらいにしてただ以上をかい撮・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・医者という職業上から、父は患者以外の来客を煩さがって居た。父の交際法は西洋式で、いつも倶楽部でばかり人に会って居た。そこで僕の家の家風全体が、一体に訪問客を悦ばなかった。特に僕の所へ来る客は厭がられた。それはたいてい垢じみた着物をきて、頭を・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 何故かって、タンクと海水との間の、彼女のボットムは、動脈硬化症にかかった患者のように、海水が飲料水の部分に浸透して来るからだった。だから長い間には、タンクの水は些も減らない代りに、塩水を飲まねばならなくなるんだ。 セイラーが、乗船・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・左れば父母が其子を養育するに、仮令い教訓の趣意は美なりとするも、女子なるが故にとて特に之を厳にするは、男女同症の患者に対して服薬の分量を加減するに異ならず。女子の方に適宜なれば男子の方は薬量の不足を感じ、男子に適量なりとすれば女子の服薬は適・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・尤もこれは肺病患者であると、胸を圧せられるなども他の人よりは幾倍も窮屈な苦しい感じがするのであろう。 或時世界各国の風俗などの図を集めた本を見ていたら、其中に或国の王の死骸が棺に入れてある図があった。其棺は普通よりも高い処に置いてあって・・・ 正岡子規 「死後」
・・・白い上っぱりを着た医者が一人の女の患者を扱っているところだった。「女はどうしても姙娠やお産で歯をわるくするのです。ところが働きながら歯医者へ通うことは時間の都合で不便だから、とうとうわたし達は工場へ歯科診療所をこしらえることにしたんです・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・「一寸若先生に御覧を願いたい患者がございますが」「むずかしい病気なのかね。もうお父っさんが帰ってお出になるだろうから、待せて置けば好いじゃないか」「しかしもうだいぶ長く待せてあります。今日の最終の患者ですから」「そうか。もう・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 芝生の上では、日光浴をしている白い新鮮な患者たちが坂に成った果実のように累々として横たわっていた。 彼は患者たちの幻想の中を柔かく廊下へ来た。長い廊下に添った部屋部屋の窓から、絶望に光った一列の眼光が冷たく彼に迫って来た。 彼・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・報酬はもちろん受ける、しかし自分の任務を果たすことが第一であるから、もし患者が報酬を払わなくともそれを取り立てようとはせぬ。そうして報酬とまるで釣合わないような苦しい労働である場合でも、病気とあれば、黙々として自分の任務を果たした。父が患者・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫