・・・持っている悪徳のすべてを、さらけ出した。帰途、吉祥寺駅から、どしゃ降りの中を人力車に乗って帰った。車夫は、よぼよぼの老爺である。老爺は、びしょ濡れになって、よたよた走り、ううむ、ううむと苦しげに呻くのである。私は、ただ叱った。「なんだ、・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・謀叛は、悪徳の中でも最も甚だしいもの、所謂賊軍は最もけがらわしいもの、そのように日本の世の中がきめてしまっている様子である。謀叛人も、賊軍も、よしんば勝ったところで、所謂三日天下であって、ついには滅亡するものの如く、われわれは教えられてきて・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・「叡智は悪徳である。けれども作家は、これを失ってはならぬ。」 太宰治 「女人創造」
・・・「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・芸術の世界では、悪徳者ほど、はばをきかせているものだ、と誰がそんな口碑を教えたものか、たしかにそれを信じていた。高等学校のころには、頬に喧嘩の傷跡があり、蓬髪垢面、ぼろぼろの洋服を着て、乱酔放吟して大道を濶歩すれば、その男は英雄であり、th・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・おそらくは、あの少女のこれが父親であろう主人に、ざくざく髪を刈らせて、私は涼しく、大へん愉快であったという、それだけの悪徳物語である。 太宰治 「美少女」
私の数ある悪徳の中で、最も顕著の悪徳は、怠惰である。これは、もう、疑いをいれない。よほどのものである。こと、怠惰に関してだけは、私は、ほんものである。まさか、それを自慢しているわけではない。ほとほと、自分でも呆れている。私・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・貧乏は悪徳である、貧者はその自覚の抑圧に苦しみ、富の美徳を獲得せんと焦慮するために働きあるいは盗み奪う……」 呉服の地質の種類や品位については全く無知識な自分も、染織の色彩や図案に対しては多少の興味がある。それで注意して見ると、近ごろ特・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・あるいはまたあまりに枯淡なる典型に陥り過ぎてかえって真情の潤いに乏しくなった古来の道徳に対する反感から、わざと悪徳不正を迎えて一時の快哉を呼ぶものとも見られる。要するに厭世的なるかかる詭弁的精神の傾向は破壊的なるロマンチズムの主張から生じた・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ」「うん」「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」「うん」「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩きつけなければならん」「うん」「君もやれ」「うん、やる」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫