・・・ 前刻から――辻町は、演芸、映画、そんなものの楽屋に縁がある――ほんの少々だけれども、これは筋にして稼げると、潜に悪心の萌したのが、この時、色も、慾も何にもない、しみじみと、いとしくて涙ぐんだ。「へい。お待遠でござりました。」 ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・とささやいたので思いがけない悪心が起ったので山刀をさし枕槍をひっさげてその坊さんの跡をおっかけて行く、まだ九つ許りの娘の分際でこんな事を親に進めたのは大悪人である。殊更、熊野の奥の山家に住んで居るんだから、干鯛が木になるものだか、からかさは・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ 酔うにつれて、荒涼たる部屋の有様も、またキヌ子の乞食の如き姿も、あまり気にならなくなり、ひとつこれは、当初のあのプランを実行して見ようかという悪心がむらむら起る。「ケンカするほど深い仲、ってね。」 とはまた、下手な口説きよう。・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・「王様は、人を殺します。」「なぜ殺すのだ。」「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」「たくさんの人を殺したのか。」「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・私には全くそんな悪心がないのだから、いつでもお返ししたいと思っているのだから、正々堂々、誰の眼にでも、とまるように、あかるみに出して置きたく、そんな気持もあって、電燈の覆いに使用したのである。それに、ちがいない。その上、緑色は睡眠のためにも・・・ 太宰治 「春の盗賊」
出典:青空文庫