・・・と、太郎は思いましたが、また、先刻、野原に赤いろうそくの火がたくさん点っていたことを思い出して、もしやなにか、きつねか悪魔がやってきて、戸をたたくのではなかろうかと、息をはずませて黙っていました。 すると、この音をききつけたのは、自分一・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・ 気の弱い寺田はもともと注射が嫌いで、というより、注射の針の中には悪魔の毒気が吹込まれていると信じている頑冥な婆さん以上に注射を怖れ、伝染病の予防注射の時など、針の先を見ただけで真蒼になって卒倒したこともあり、高等教育を受けた男に似合わ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・作家の中には無垢の子供と悪魔だけが棲んでおればいい。作家がへんに大人になれば、文学精神は彼をはなれてしまう。ことに海千山千の大人はいけない。舟橋聖一氏にはわるいが、この人の「左まんじ」という文芸春秋の小説は主人公の海千山千的な生き方が感じら・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・(魔法使いの婆さんがあって、婆さんは方々からいろ/\な種類の悪魔を生捕って来ては、魔法で以て悪魔の通力を奪って了う。そして自分の家来にする。そして滅茶苦茶にコキ使う。厭なことばかしさせる。終いにはさすがの悪魔も堪え難くなって、婆さんの処・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 話し手の男は自分の話に昂奮を持ちながらも、今度は自嘲的なそして悪魔的といえるかも知れない挑んだ表情を眼に浮かべながら、相手の顔を見ていた。「どうです。そんな話は。――僕は今はもう実際に人のベッドシーンを見るということよりも、そんな・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。裸足で薊を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。 闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安堵が・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・全然とり返しがつかぬという考え方はこれは天国的なものでなく、悪魔の考え方である。 しかし童貞を尊び、志向を純潔にし、その精神に夢と憧憬とを富ましめるということは、青年の恋愛にとって欠くべからざる心がけである。 五 相互選・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・山鳴り谷答えて、いずくにか潜んでいる悪魔でも唱い返したように、「我は官軍我敵は」という歌の声は、笛吹川の水音にも紛れずに聞えた。 それから源三はいよいよ分り難い山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・これは、作者の人のよさではない。これは、悪魔以上である。なかなか、おそろしいことである。 くだらないことばかり言っている。訪客あきれて、帰り支度をはじめる。べつに引きとめない。孤独の覚悟も、できている筈だ。 もっともっとひどい孤独が・・・ 太宰治 「一日の労苦」
出典:青空文庫