・・・馬鹿奴、悪魔奴! 蟻だ、蟻だ、ほんとうに蟻だ。まだあそこにいやがる。汽車もああなってはおしまいだ。ふと汽車――豊橋を発ってきた時の汽車が眼の前を通り過ぎる。停車場は国旗で埋められている。万歳の声が長く長く続く。と忽然最愛の妻の顔が眼に浮・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・家扶家従、部屋付き女中、料理人、せんたく女と順々にこれが伝わって行って、最後にはいよいよ引き上げて行くモーリスに、執念く追い迫るスキャンダルの悪魔のささやきのようなささやき声の「ナッシンバッタテーラ」が繰り返される。これはかなり印象的である・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている。 その時夕暮の窓際に近く日暮しが来て朗らに鋭どい声を立てたので、卓を囲んだ四人はしばらくそれに耳を傾けた。あの鳴声にも以太利の連想があるでしょうと余・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・り、気の毒なる者なり、憐む可き者なり、吾々米国婦人は片時も斯る境遇に安んずるを得ず、死を決しても争わざるを得ず、否な日米、国を殊にするも、女性は則ち同胞姉妹なり、吾々は日本姉妹の為めに此怪事を打破して悪魔退治の法を謀る可しとて、切歯慷慨、涙・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ある時は天を焦す焔の中に無数の悪魔が群りて我家を焼いて居る処を夢見て居る。ある時は万感一時に胸に塞がって涙は淵を為して居る。ある時は惘然として悲しいともなく苦しいともなく、我にもあらで脱殻のようになって居る。固よりいろいろに苦んで居たに違い・・・ 正岡子規 「恋」
・・・そして踊り済まってがら家さ連れで来ておれ実家さ行って泊って来るがらうなこっちで泣いて頼 おみちの胸はこの悪魔のささやきにどかどか鳴った。それからいきなり嘉吉をとび退いて、そして爽かに笑った。嘉吉もごろりと寝そべって天井を見ながら何べ・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・ルネッサンスは、近代科学の黎明ではあったけれども、錬金術師のフラスコと青く光る焔とは、まるでその時代の常識に、真黒くて尻尾のある悪魔を思いださせた。魔法の汁で恋のまことが狂わせられるということもないといえないこととして、シェクスピア時代の観・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・Shaw は「悪魔の弟子」のような廃れたものに同情して、脚本の主人公にする。危険ではないか。お負に社会主義の議論も書く。 独逸文学で、Hauptmann は「織屋」を書いて、職工に工場主の家を襲撃させた。Wedekind は「春の目ざめ・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・ 必ずそのときには悪魔か神かに突きあたってぶらぶらしてしまうより方法はないが、何かかけ声のようなものをかけ、一飛びに無理をそのまま捻ぢ倒してしまってふうふうという。つまりそのときは明らかに自分が負かされてしまっているのだ。それを明瞭に感・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・魂を悪魔に売るともこの世界に住むことは望ましい。 それが新時代の大勢であった。地下の偶像は皆よみがえって、再び太陽の下に打ち立てられた。狂熱的な僧侶の反動もただ大勢に一つの色彩を加えたに過ぎなかった。しかし再興せられた偶像はもはや礼拝せ・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫