・・・墓標も当時は存しておりましたが惜しいかなその後取払われました」と中々精しい。 カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被って寝巻姿のまま啣え煙管で逍遥したのはこの庭園である。夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・これまでにして亡くしたのは惜しかろうといって、悔んでくれる人もある、しかしこういう意味で惜しいというのではない。女の子でよかったとか、外に子供もあるからなどといって、慰めてくれる人もある、しかしこういうことで慰められようもない。ドストエフス・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・血達磨の紀行には時として人を驚かすような奇語奇文奇行がないではないが、惜しい事には文字に不穏当な処が多い。殊にその豪傑志士を気取る処は俗受けのする処であってその実その紀行の大欠点である。某の東北徒歩旅行は始めよりこの徒歩旅行と両々相対して載・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・誰だって惜しいとは思います。耕牧舎でもこっそりそれを売っているらしいというんです。行って見て来いってうわけでバキチが剣をがちゃつかせ、耕牧舎へやって来たでしょう。耕牧舎でもじっさい困ってしまったのです。バキチが入って行きましたらいきなり一疋・・・ 宮沢賢治 「バキチの仕事」
・・・ いくら、ぞんざいにあつかって居るからってやっぱり惜しい気がする。 惜しいと思う気持が段々妙に淋しい心になって来る。 細かい「ふけ」が浮いた抜毛のかたまりが古新聞の上にころがって、時々吹く風に一二本の毛が上の方へ踊り上ったり靡い・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・彼らはどんなにか口惜しい思いをするであろう。こう思ってみると、忠利は「許す」と言わずにはいられない。そこで病苦にも増したせつない思いをしながら、忠利は「許す」と言ったのである。 殉死を許した家臣の数が十八人になったとき、五十余年の久しい・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・随分見たかったのですから、惜しい事をしたと思いましたよ。ところがそこに気の附いた時にはもうあとの祭でした。悲しいことは悲しいのですが、わたしだって男一匹だ。ここに来たからには、せっかくの御注意ですが、やっぱりこのまま置いてお貰い申しましょう・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・楠や北畠が絶えたは惜しいが、また二方が世に秀れておじゃるから……」「嬉しいぞや。早う高氏づらの首を斬りかけて世を元弘の昔に復したや」「それは言わんでものこと。いかばかりぞその時の嬉しさは」 これでわかッたこの二人は新田方だと。そ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・汚点が惜しいことにちょっと附いてるのでな。」 お霜は差し出された丸帯を見向きもせず、「いまに思いしらせてやるわ、覚えてよ。」とまた云った。 秋三は「帰ね帰ね」と云うとそのまま奥庭の方へ行きかけた。「何を云うのや! 姉やん、あ・・・ 横光利一 「南北」
・・・ここまで育てて置いて亡くしたのは惜しかろうと言って同情してくれる人もあるが、そんな意味で惜しいなどという気持ちではない。また女の子でよかったとか、ほかに子供もあるからとかと言って慰めてくれる人もあるが、そんなことで慰まるような気持ちでもない・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫