・・・恐ろしいほど大きな茶色をした親ねずみは、あたかも知恵の足りない人間を愚弄するように自由な横暴な挙動をほしいままにしていた。 二 春から夏に移るころであったかと思う。ある日座敷の縁の下でのら猫が子を産んでいるという・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・買い物という行為を単に物質的にのみ解釈して、こういう人を一概に愚弄する人があるが、自分はそれは少し無理だと思っている。 ベルリンのカウフハウスでは穀類や生魚を売っていた、ロンドンの三越のような家では犬や猿や小鳥の生きたのを売っていた。生・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・それで居て彼は蚊帳の釣手を切って愚弄されたことや何ということはなしに只心外で堪らなくなる。商人は太十に勧めた。太十はそれが余りに廉いと思うとぐっと胸がこみあげて「構わねえ、おら伐らねえ」と呶鳴った。「おれが死んじまったらどうも出・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・あるものは私の理性を愚弄するために作ったと思われますね。太功記などは全くそうだ。あるものは平板のべつ、のっぺらぽうでしょう。楠なんとかいうのは、誰が見たってのっぺらぽうに違ない。あるものに至っては、私の人情を傷けようと思って故意に残酷に拵え・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・「大に人を愚弄したものだ。ここはどこだって、阿蘇町さ。しかもともかくもの饂飩を強いられた三軒置いて隣の馬車宿だあね。半日山のなかを馳けあるいて、ようやく下りて見たら元の所だなんて、全体何てえ間抜だろう。これからもう君の天祐は信用しないよ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・彼らは強いて自らを愚弄するにあらずやと怪しまれる。世に反語というがある。白というて黒を意味し、小と唱えて大を思わしむ。すべての反語のうち自ら知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい。墓碣と云い、紀念碑といい、賞牌と云い、綬賞と云・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ すなわち今の事態を維持して、門閥の妄想を払い、上士は下士に対して恰も格式りきみの長座を為さず、昔年のりきみは家を護り面目を保つの楯となり、今日のりきみは身を損じ愚弄を招くの媒たるを知り、早々にその座を切上げて不体裁の跡を収め、下士もま・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・やっと生きて帰って来た世間が冷たいのも、もとはといえば、不幸な人々を引っぱり出した同じその強権によって、愚弄されて来たことを今日の憤りとしている世間の感情があるからである。 人民同士が互に不幸への憤りを見当違いにぶっつけ合って苦んでいる・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・ 正義、良心、恥を知る心などというものは何と現代に愚弄されているだろう。それだのに、なお、わたしたちには、しつこく、正しさを愛し、人間らしさを求めずにいられない心がのこされている。それは、なぜなのだろう。すこしはげしい表現をもっていえば・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・パックが二人のアテナ人の瞼にしぼりかけた魔法の草汁のききめは、二人の男たちの分別や嗜好さえも狂わせて、哀れなハーミヤとヘレナとは、そのためどんなに愚弄され、苦しみ、泣き、罵らなければならなかっただろう。大戯曲家シェクスピアは、大胆な喜劇的効・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
出典:青空文庫