・・・禽獣なおその子を愛す、いわんや人類においてをや。天下の父母は必ずその子を愛してその上達を願うの至情あるべしといえども、今日世上一般の事跡に顕われたる実際を見れば、子を取扱うの無情なること鬼の如く蛇の如く、これを鬼父蛇母と称するも妨げなき者甚・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・花の如く、玉の如く、愛すべく、貴むべく、真に児女子の風を備えて、かの東京の女子が、断髪素顔、まちだかの袴をはきて人を驚かす者と、同日の論にあらざるなり。 この学校は中学の内にてもっとも新なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・花柳の美、愛すべし、糟糠の老大、厭うに堪えたりといえども、糟糠の妻を堂より下すは、我が金玉の身に不似合なり。長兄愚にして、我れ富貴なりといえども、弟にして兄を凌辱するは、我が金玉の身によくすべからず。ここに節を屈して権勢に走れば名利を得べし・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・二本の梅に遅速を愛すかな麓なる我蕎麦存す野分かなの「愛すかな」「存す野分」の連続のごとき夏山や京尽し飛ぶ鷺一つの「京尽し飛ぶ」の連続のごとき蘭夕狐のくれし奇楠をんの「蘭夕」の連続のごとき漢文より来たりしも・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・愛されるから愛すのではなくて、愛すから愛すのだということを今日のすべての婦人は知りはじめている。自分がほんとうに新しい社会をつくるために、自分たちの女であるという喜びと誇りと充実した人生を希望するなら、そういう人間の希望を理解する男の人に協・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・真によく愛すことと、真によく闘うことは、今日のような階級対立の鋭い大衆の不幸な社会にあって、全く同義語のような歴史的意義をもっていると私は思うのである。〔一九三五年五月〕 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・日本の社会が、あらゆる階層を通じてとくに婦人に重く苦しい現実を強いていることは、人生を愛す気質をもって生れている伸子を一九二七年の空気のなかで、社会主義へ近づけずにいなかった。「二つの庭」で、伸子は、これまで人として女として自然発生にあった・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・子供を愛す、ということは、具体的なことで、心もちばかりの問題ではなく社会的行為の課題であることが実感される。一九二八年の春の終りに書いたモスクワ印象記では、まだ階級としてのプロレタリアートの勝利の意味を把握していなかったわたしが三〇年には、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・それにひきくらべて、と、日本の女のひと、特にジェニファーに近い年ばえの女のひとが、この映画の祖母のわかりよさを愛すとすれば、そのことのなかに、一言にしてのべつくされない今日の女の生活にたたまれている感情のかげがあるわけである。 でも、私・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・私は仕事に力を集中する時愛する者たちを顧みない事があります。私を愛してくれる者はもちろんそれを承知してその集中を妨げないように、もしくはそれを強めるように、力を添えてくれます。しかし自分を犠牲にしてまでそれに尽くしてくれる者はただ一人きりで・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫