・・・と、感傷的に父を責め始めた。「だからさ、だから今日は谷村博士に来て貰うと云っているんじゃないか?」 賢造はとうとう苦い顔をして、抛り出すようにこう云った。洋一も姉の剛情なのが、さすがに少し面憎くもなった。「谷村さんは何時頃来てく・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・この事実は当時の感傷的な僕には妙に象徴らしい気のするものだった。 それから五六日たった後、僕は偶然落ち合ったKと彼のことを話し合った。Kは不相変冷然としていたのみならず、巻煙草を銜えたまま、こんなことを僕に尋ねたりした。「Xは女を知・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・のみならず僕は彼がうたった万葉集の歌以来、多少感傷主義に伝染していた。「ニニイだね。」「さもなければ僕の中の声楽家だよ。」 彼はこう答えるが早いか、途方もなく大きい嚔めをした。 五 ニイスにいる彼の・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・もし多少の誇張を許すなら、己の袈裟に対する愛なるものも、実はこの欲望を美しくした、感傷的な心もちに過ぎなかった。それが証拠には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、成程己はあの女の事を忘れずにいたにちがいないが、もしその以前に己があの女の体・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・秋から冬にかけて木枯の寒い晩に一人の女性が、人生に感傷して歩いていたと云う姿が浮んで来る。自己対自然と云う悠遠な感じがどの作品にも脉打つように流れている。 僕はそれ等の作品を目して、セルフがはっきりと出ているからだと云いたい。それは即ち・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 子守唄は子供を寝かしつけるための歌であり、又舟乗りの唄は、舟をこぐ苦労を忘れるための歌であり、糸とりの唄はたゞその唄う歌の節に少女自からを涙ぐましむることによって自らを感傷的な気持にすれば足りるというであろう。そういうような単純な目的・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・子という畳屋町から通っている子がいて、芸者の子らしく学校でも大きな藤の模様のついた浴衣を着て、ひけて帰ると白粉をつけ、紅もさしていましたが、奉公に行けば、もうその子の姿も見られなくなるという甘い別れの感傷も、かえって私の決心を固めさせた。し・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・中で、唯一の美しさ――まるで忘れられたような美しさだと思い、ありし日の大阪の夏の夜の盛り場の片隅や、夜店のはずれを想い出して、古女房に再会した――というより、死んだ女房の夢を見た時のような、なつかしい感傷があった。 四・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 眼に涙がにじんでいたのは、しかし感傷ではなかった。四十時間一睡もせずに書き続けた直後の疲労がまず眼に来ているのだった。眠かった。―― 睡魔と闘うくらい苦しいものはない。二晩も寝ずに昼夜打っ通しの仕事を続けていると、もう新吉には睡眠・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・不死身の麟太郎だが、しかしあくまで都会人で、寂しがりやで、感傷的なまでに正義家で、リアリストのくせに理想家で――やっぱりそんな武田麟太郎が「ひとで」の中に現れていた。悲しい姿であった。日本が悲しくなってしまったように、武田さんも悲しくなって・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
出典:青空文庫