・・・ 神父は優しい感動を感じた。やはりその一瞬間、能面に近い女の顔に争われぬ母を見たからである。もう前に立っているのは物堅い武家の女房ではない。いや日本人の女でもない。むかし飼槽の中の基督に美しい乳房を含ませた「すぐれて御愛憐、すぐれて御柔・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・が、この時はトックの死にある感動を受けていたためにいったい河童の宗教はなんであるかと考え出したのです。僕はさっそく学生のラップにこの問題を尋ねてみました。「それは基督教、仏教、モハメット教、拝火教なども行なわれています。まず一番勢力のあ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。花の間に顔を伏せて彼女は少女の歌声に揺られながら、無我の祈祷に浸り切った。 ○「クララ……クララ」 クララは眼をさまして・・・ 有島武郎 「クララの出家」
私には口はばったい云い分かも知れませんが聖書と云う外はありません。聖書が私を最も感動せしめたのは矢張り私の青年時代であったと思います。人には性の要求と生の疑問とに、圧倒される荷を負わされる青年と云う時期があります。私の心の・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・ 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読んだのは明治二十二年の夏、富士の裾野の或る旅宿に逗留していた時、行李に携えたこの一冊を再三再四反覆して・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・シカシ世間に与えた感動は非常なもので、大多数は尽くヒプノタイズされてしまって、紅隈の団十郎が大眼玉を剥いたのでなければ承知出来ぬ連中までが「チンプンカンで面白くねェ、馬鹿にしてやがる」といいながらも一種の暗示を与えられてこれを迎えずにはいら・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・只単に旨いと思って読むものと、心の底から感動させられるものとは自らそこに非常な相違があると思う。 読んで見て、如何にも気持がよく出て居て、巧みに描き出してあると思う作品は沢山あるけれども、粛然として覚えず襟を正し、寂しみを感じさせるよう・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ その時、年とった体操の教師が、この木の下に立って、さも痛ましそうにして、皮の剥がれた幹を撫していましたが――よくこれで水を吸い上げるものだと言わぬばかりの顔をしながら――やがて、何に深く感動してか、溜息を洩らして、「苛められる者は・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・奈良に住むと、小説が書けなくなるというのも、造型美術品から受ける何ともいいようのない単純な感動が、小説の筆を屈服させてしまうからであろう。だから、人間の可能性を描くというような努力をむなしいものと思い、小説形式の可能性を追究して、あくまで不・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・光らせた蒼白いその顔を見て、私は佐伯の病気もいよいよいけなくなったのか、なるほどそんな噂が立つのも無理はあるまいという想いにいきなり胸をつかれたが、同時に佐伯の生活にはもはや耳かきですくうほどの希望も感動も残っていず、今は全く青春に背中を向・・・ 織田作之助 「道」
出典:青空文庫