・・・それらについて知らなかったけれども、子供の頃より折々そこに暮して、村の街道の赭土に深くきざみつけられた轍のあとまで眼と心にしみついている東北の一寒村の人々の生活の感銘から、この小説をかいたのであった。 当時、日本の文学は、白樺派の人道主・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・ モスクワでの生活と、その生活の感銘をもって比較しずにいられなかったロンドンやパリ、ベルリンの生活から、作者は真に資本主義社会の生活と社会主義社会での生活との相異を実感した。一人の人間として、芸術家として、資本主義社会での現実の考えかた・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・芸術的な感銘で云えば、すべてのシチュエーションが、感情でも、何でも中途半端の上へきずき上げられている。母のジェニファーは、ほかならぬ女相手のしかも衣裳屋として成功し、立派な店をも持っているからには、純情であろうと十分この世の良識はそなえてい・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・そのことをつよく感じる人々は、同時に、この二人の作家が全く対蹠的に一生を送ったことについても、浅からぬ感銘を与えられているのではなかろうか。 同じ死ということでも、藤村の死去ときいて、私たちには儀式めいた紋付羽織袴のそよぎが感じられた。・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 葉子の恋愛の描写の中に感銘を与えられることがもう一つある。それは作者が、恋愛というものに、消極的な性質を帯びたものと、積極的なものとあり、ある人の一生の時期の微妙な潮のさしひき、社会と個人との結合の関係などによって、恋愛のそれぞれの性・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・ 一応は和気藹々たるその光景は、主人公がほかならぬ画家であるということから、むしろ異様に孤独に、鬼気さえもはらんで忘れがたい感銘を与えられた。 芸術の道をゆくとき、画家にとって道づれは、今こうやってテーブルに何か雑然と無意味な賑やか・・・ 宮本百合子 「或る画家の祝宴」
・・・ マルタン・デュガールのこの長篇がフランスで出版され全ヨーロッパの人々に深い感銘を与えたのは丁度、第二次ヨーロッパ大戦のはじまるすこし前のころであった。ドイツのナチズムの暴力があらわれ、イタリーのファシズムが芝居がかりの権力遊びからいよ・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・への納得ではなくて、死というものをもこれだけに追究しとり組んで行く、人間の生きてゆく姿の感銘であるのは、非常に面白いところであると思われる。私たちの世代では、人間一人の生の意味の面からの追究でなければ、死にも触れなくなって来ているところも、・・・ 宮本百合子 「生きてゆく姿の感銘」
・・・今日になっても、検事局は、やっぱり恐ろしいところであるという強い感銘を与えられた。常識では、災難と思えるところに、摘発の専門家の手にかかると、法律上犯罪となる条件が見出され得るということは、一般人の信頼を、安らかさに置くよりも、気味わるく思・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・ ソヴェト同盟のシュミット博士一行の極地探険の記録映画は誠に感銘深いものであったが、そこには歪められたロマンティシズムは少しもなかったのである。 沙漠という自然の事情と、それを生産的に開発しようとする人間の意志、土地の相貌が新しくな・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
出典:青空文庫