・・・てやった、それを見て地蔵様がいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊である、それが復讐に来たのであるから勝手に喰わせて置けば過去の罪が消えて未来の障りがなくなるのであった、それを埋めてやったのは慈悲なようであってかえって慈悲でないので・・・ 正岡子規 「犬」
・・・するとかげろうは手を合せて「お慈悲でございます。遺言のあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがいました。 蜘蛛もすこし哀れになって「よし早くやれ。」といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとう・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・「先生、この児があんばいがわるくて死にそうでございますが先生お慈悲になおしてやってくださいまし。」「おれが医者などやれるもんか。」ゴーシュはすこしむっとして云いました。すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらくだまっていましたがま・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・その者を、彼女も婆やと呼んで、時には慈悲もかけてやれた。自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄れた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか? 自分が正直に働い・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・お前に食わさんのが慈悲じゃと思え」という兄について彼は部落を歩きまわり、ことごとに部落の荒廃を目撃する。盆の十四日が百姓平次郎に鉈をふるわせる厄日であり、室三次の命の綱である馬が軍隊に徴発され、その八十円を肥料屋と高利貸に役場で押えられた室・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・殉死を許してやったのは慈悲であったかも知れない。こう思って忠利は多少の慰藉を得たような心持ちになった。 殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ その翌年の文化六年に、越前国丸岡の配所で、安永元年から三十七年間、人に手跡や剣術を教えて暮していた夫伊織が、「三月八日浚明院殿御追善の為、御慈悲の思召を以て、永の御預御免仰出され」て、江戸へ帰ることになった。それを聞いたるんは、喜んで・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・いと浅からぬ御恵もて、婢女の罪と苦痛を除き、この期におよび、慈悲の御使として、童を遣わし玉いし事と深く信じて疑わず、いといとかしこみ謝し奉る」と。祈り終って声は一層幽に遠くなり、「坊や坊には色々いい残したいことがあるが、時迫って……何もいえ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・川端竜子氏の『慈悲光礼讃』は、この問題に一つの解案を与えるものであるが、我々はこれを日本画の新しい生面として喜ぶことができるだろうか。薄明かりの坂路から怪物のように現われて来る逞しい牛の姿、前景に群がれる小さき雑草、頂上を黄橙色に照らされた・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・昨年の『慈悲光礼讃』に比べれば、その観照の着実と言い対象への愛と言い、とうてい同日に論ずべきでない。 が、この実証は自分に満足を与えたとは言えない。自分はこの種の写実の行なわれないのを絵の具の罪よりもむしろ画家の罪に帰していた。画家にし・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫