・・・ ある者は戦場から直ぐ、ある者は繃帯所から、ある者は担架で病院までやってきて、而も、病院の入口で見込がないことを云い渡されて林へ運ばれて行った。中には、まだぬくい血が傷口から流れ出ている者があった。自分たちが、負傷から意識を失った、若し・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・そうして、彼は、それが東京に於ける飲みおさめで、数日後には召集令状が来て、汽船に乗せられ、戦場へ連れられて行ったのである。 ひや酒に就いての追憶はそれくらいにして、次にチャンポンに就いて少しく語らせていただきたい。このチャンポンというの・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ 山川草木うたたあ荒涼 十里血なまあぐさあし新戦場 しかも、後半は忘れたという。「さ、帰るぞ、俺は。お前のかかには逃げられたし、お前のお酌では酒がまずいし、そろそろ帰るぞ」 私は引きとめなかった。 彼は立・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ その言葉が、あの女のひとの耳にまでとどかざる事、あたかも、一勇士を葬らわんとて飛行機に乗り、その勇士の眠れる戦場の上空より一束の花を投じても、決してその勇士の骨の埋められたる個所には落下せず、あらぬかなたの森に住む鷲の巣にばさと落ちて・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・この病、この脚気、たといこの病は治ったにしても戦場は大なる牢獄である。いかにもがいても焦ってもこの大なる牢獄から脱することはできぬ。得利寺で戦死した兵士がその以前かれに向かって 「どうせ遁れられぬ穴だ。思い切りよく死ぬサ」と言ったことを・・・ 田山花袋 「一兵卒」
私は戦場から帰って、まもなくO君を田舎の町の寺に訪ねた。その時、墓場を通りぬけようとして、ふと見ると、新しい墓標に、『小林秀三之墓』という字の書いてあるのが眼についた。新仏らしく、花などがいっぱいにそこに供えてあった。・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ 物恐ろしい戦場が現われる。鍋の物のいりつくような音を立てて飛んで来る砲弾が眼の前に破裂する。白い煙の上にけし飛ぶ枯木の黒い影が見える。 戦場が消えると、町はずれの森蔭の草地が現われる。二人の男が遠くはなれて向い合って立っている。二・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・ 戦場で負傷したきずに手当てをする余裕がなくて打っちゃらかしておくと、化膿してそれに蛆が繁殖する。その蛆がきれいに膿をなめつくしてきずが癒える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後、特に外科医の方で・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・を抑えてピアノの前に坐り所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変になって来て、急に嵐のような幻想曲を弾き出す、その狂熱的な弾奏者の顔のクローズアップに重映されて祖国の同志達の血潮に彩られた戦場の光景が夢幻のごとくスクリーンの面を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・酒の味に命を失い、未了の恋に命を失いつつある彼は来るべき戦場にもまた命を失うだろうか。彼は馬に乗って終日終夜野を行くに疲れた事のない男である。彼は一片の麺麭も食わず一滴の水さえ飲まず、未明より薄暮まで働き得る男である。年は二十六歳。それで戦・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫