・・・広いホールに、時間が来たのにまだ現れない前線からの良人を待って、踊りを所望されたカッスル夫人が、不安な白鳥のように孤独でたゆたっている。ところへ、カッスルが入って来て、ああ、と両方からよりそって手をとりあったその感情から、静かな、劬りのある・・・ 宮本百合子 「表現」
・・・ 今や諧謔の徒は周囲の人を喜ばすためにかれをして『糸くず』の物語をやってもらうようになった、ちょうど戦場に出た兵士に戦争談を所望すると同じ格で。あわれかれの心は根底より壊れ、次第に弱くなって来た。 十二月の末、かれはついに床についた・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ これより二年目、寛永三年九月六日主上二条の御城へ行幸遊ばされ妙解院殿へかの名香を御所望有之すなわちこれを献ぜらるる、主上叡感有りて「たぐひありと誰かはいはむ末にほふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名附けさせ給由承り候。・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ これより二年目、寛永三年九月六日主上二条の御城へ行幸遊ばされ、妙解院殿へかの名香を御所望有之、すなわちこれを献ぜらる、主上叡感有りて、「たぐひありと誰かはいはむ末にほふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名づけさせ給う由承・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・いつも不意に所望せられるので、身を放さずに持っている笛である。夜はしだいにふけて行く。燃え下がった蝋燭の長く延びた心が、上の端は白くなり、その下は朱色になって、氷柱のように垂れた蝋が下にはうずたかく盛り上がっている。澄み切った月が、暗く濁っ・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情を殿がフト御覧になってからは、優に妙なお容姿に深く思いを寄られて、子爵の御名望にも代られぬ御執心と見えて、行つ戻りつして躊躇っていらっしゃるうちに遂々奥方にと御所望なさったんだそうです。ところがいよい・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫