・・・ いつ、私は、あの人の手引をして夫を討たせると云う約束を、結んでなどしまったのであろう。しかしその約束を結ぶと一しょに、私は始めて夫の事を思出した。私は正直に始めてと云おう。それまでの私の心は、ただ、私の事を、辱められた私の事を、一図にじっ・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・ 盲にして七十八歳の翁は、手引をも伴れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲の翁は、親不知の沖を越ゆべき船に乗りたるなり。衆人はその無法なるに愕けり。 渠は手も足も肉落ちて、赭黒き皮のみぞ骸骨を裹みたるたる空に覆れたる万象はことごと・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・省作はおはまの手引きによって、一日おとよさんと某所に会し今までの関係を解決した。 お互いに心の底を話して見れば、いよいよ互いに敬愛の念がみなぎり返るのであるが、ままならぬ世のならいにそむき得ず、どうしても遠い他人にならねばならない。男同・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 小心な男ほど羽目を外した溺れ方をするのが競馬の不思議さであろうか。手引きをした作家の方が呆れてしまう位、寺田は向こう見ずな賭け方をした。執筆者へ渡す謝礼の金まで注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ 初学者はこの書によって入門し、倫理学の根本課題の所在と、その解決の諸方途との手引きを得ることを自分は薦めたい。 私のこの稿は専門の倫理学者になる青年のためではなく、一般に人間教養としての倫理学研究のためであるが、人間の倫理的疑問及・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そして王に手引してもらって、手取り千六百金、四百金を承奉に贈ることにして、二千金で売付けた。時はもう明末にかかり、万事不束で、人も満足なものもなかったので、一厨役の少し麁鹵なものにその鼎を蔵した管龠を扱わせたので、その男があやまってその贋鼎・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・棚曝しになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物との手引草もある。今日までの代の変遷を見せる一種の展覧会、とでも言ったような具合に、あるいは人間の無益な努力、徒に流した涙、滅びて行く名――そ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・それが手引となって、東京、横浜、横須賀なぞでは、たちまち一面に火災がおこり、相模、伊豆の海岸が地震とともにつなみをかぶりなぞして、全部で、くずれたおれた家が五万六千、焼けたり流れたりしたのが三十七万八千、死者十一万四千、負傷者十一万五千を出・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど全部を気前よく投じて、現在のこの武蔵野の一角に、八畳、六畳、四畳半、三畳の新築の文化住宅みたいなものを買い、自分は親戚の者の手引きで三鷹町の役場に勤める事になったの・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・盲目なる手引よ、汝らは蚋を漉し出して駱駝を呑むなり。禍害なるかな、偽善なる学者、外は人に正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、「我らもし先祖の時にありしな・・・ 太宰治 「如是我聞」
出典:青空文庫