・・・だが、今は私は、一銭の傷害手当もなく、おまけに懲戒下船の手続をとられたのだ。 もう、セコンドメイトは、海事局に行っているに違いない。 浚渫船は蒸汽を上げた。セーフチーバルヴが、慌てて呻り出した。 運転手がハンドルを握った。静寂が・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 応急手当が終ると、――私は船乗りだったから、負傷に対する応急手当は馴れていた――今度は、鉄窓から、小さな南瓜畑を越して、もう一つ煉瓦塀を越して、監獄の事務所に向って弾劾演説を始めた。 ――俺たちは、被告だが死刑囚じゃない、俺たちの・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・例えば小児が腹痛すればとて例の妙薬黒焼など薬剤学上に訳けの分らぬものを服用せしむ可らず、事急なれば医者の来るまで腰湯パップ又は久しく通じなしと言えば灌腸を試むる等、外用の手当は恐る/\用心して施す可きも、内服薬は一切禁制にして唯医者の来診を・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・なお万一の僥倖を期して屈することを為さず、実際に力尽きて然る後に斃るるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩えていえば、父母の大病に回復の望なしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごとし。これも哲学流にて・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・カールが受取るべき手当も貰うどころではなくなった。しかし、イエニーは空皿を並べたテーブルにカールとその友人を招くことが出来るだろうか。 カールはパリ発行の『フォールベルツ』誌へ寄稿しはじめた。現代社会の発展は生産のもっと合理的な方法によ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・読売新聞の時評はいち早くこの卓見に同調して、労働者に家族手当を出すので子供を生む。家族手当をやめよ、賃銀を労働者一人の能率払いにせよ、と書いている。『中央公論』は、仄聞するところによると十万の出版部数をもっているそうだ。『中央公論』をよ・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
・・・あわれに打ちくだかれた骨の正しい手当、また傷の中の小銃弾や大砲の弾丸の破片をX光線の透写によって発見する装置が、この恐ろしい近代戦になくてもよいのであろうか。 キュリー夫人は科学上の知識から、大規模の殺戮が何を必要としているかを見た。罪・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ 五助は身分の軽いものではあるが、のちに殉死者の遺族の受けたほどの手当は、あとに残った後家が受けた。男子一人は小さいとき出家していたからである。後家は五人扶持をもらい、新たに家屋敷をもらって、忠利の三十三回忌のときまで存命していた。五助・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 医師が来て、三右衛門に手当をした。 親族が駆け附けた。蠣殻町の中邸から来たのは、三右衛門の女房と、伜宇平とである。宇平は十九歳になっている。宇平の姉りよは細川長門守興建の奥に勤めていたので、豊島町の細川邸から来た。当年二十二歳であ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・とうとう下女の親許へ出掛けて行って、いずれ妻にするからと云って、一旦引き取らせて手当を遣っていた。そのうちにどうかしようと思ったが、親許が真面目なので、どうすることも出来ない。宮沢は随分窮してはいたのだが、ひと算段をしてでも金で手を切ろうと・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫