・・・過ぐる東京での震災の日には、打ち続く揺り返し、揺り返しで、その度に互いに眼の色を変えたことが、言わず語らずの間に二人の胸を通り過ぎた。お富は無心な子供の顔をみまもりながら、「お母さん、御覧なさい、この児はもうあの地震を覚えていないようで・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ やもりと荒物屋には何の縁もないが、何物かを呪うようなこの阪のやもりを行き通りに見、打ち続く荒物屋の不幸を見聞きするにつけて、恐ろしい空想が悪夢のように心を襲う。黒ずんだ血潮の色の幻の中に、病女の顔や、死んだ娘の顔や、十年昔のお房の顔が・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・例えば隣家は頻りに繁昌して財産も豊なるに、我家は貧乏の上に不仕合のみ打続く、羨ましきことなり憎らしきことなり、隣翁が何々の方角に土蔵を建てゝ鬼瓦を上げたるは我家を睨み倒さんとするの意なり、彼の土蔵が火事に焼けたらば面白からん、否な人の見ぬ間・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫