・・・しかし彼の興奮が極度に達している事は、時々彼があたりへ投げる、気違いじみた視線にも明かであった。 苦しい何秒かが過ぎた後、戸の向うからはかすかながら、ため息をつく声が聞えて来た。と思うとすぐに寝台の上へも、誰かが静に上ったようであった。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・が、やがて巻煙草を投げると、真面目にこう言う相談をしかけた。「嶽麓には湘南工業学校と言う学校も一つあるんだがね、そいつをまっ先に参観しようじゃないか?」「うん、見ても差支えない。」 僕は煮え切らない返事をした。それはついきのうの・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・王子無言のまま、金を投げる。第二の農夫 御土産は?王子 (剣の柄何だと?第二の農夫 いえ、何とも云いはしません。(独り語剣だけは首くらい斬れるかも知れない。主人 まあ、あなたなどは御年若なのですから、一先御父様の・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・ とすぐ答えたが、それでもすぐ言葉を続けて、「そう、それでは俺しも寝るとしようか」 と投げるように言って、すぐ厠に立って行った。足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚え・・・ 有島武郎 「親子」
・・・そして魚を鉤から脱して、地に投げる。 魚は死ぬる。 湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の、日に蒸されて腐る水草のがする。ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・「ほ、ほ、大魚を降らし、賽に投げるか。おもしろかろ。忰、思いつきは至極じゃが、折から当お社もお人ずくなじゃ。あの魚は、かさも、重さも、破れた釣鐘ほどあって、のう、手頃には参らぬ。」 と云った。神に使うる翁の、この譬喩の言を聞かれよ。・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 一生懸命に身を投げる奴があるものか、串戯じゃあねえ、そして、どんな心持だった。」「あの沈みますと、ぼんやりして、すっと浮いたんですわ、その時にこうやって少し足を縮めましたっけ、また沈みました、それからは知りませんよ。」「やれやれ苦・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ と、雑所も棒立ちになったが、物狂わしげに、「なぜ、投げる。なぜ茱萸を投附ける。宮浜。」 と声を揚げた。廊下をばらばらと赤く飛ぶのを、浪吉が茱萸を擲つと一目見たのは、矢を射るごとく窓硝子を映す火の粉であった。 途端に十二時、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・侍女たちが手に手を取って投げる金銀の輝きと、お姫さまの赤い着物とが、さながら雲の舞うような、夕日に映る光景は、やはり陸の人々の目に見られたのです。「お姫さまの船が、海の中に沈んでしまったのだろうか。」と、陸では、みんなが騒ぎはじめました・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・ この国には、昔からのことわざがありまして、夏の晩方の海の上にうろこ雲のわいた日に、海の中へ身を投げると、その人は貝に生まれ変わる。また、三年もたつと、海の上にうろこ雲がわいた日に、その貝は白鳥に変わってしまう。白鳥になると自由に空を飛・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
出典:青空文庫