・・・ポストにマッチの火を投げ入れて、ポストの中の郵便物を燃やして喜んでいた男があった。狂人ではない。目的の無い遊戯なんだ。毎日、毎日、あちこちのポストの中の郵便物を焼いて歩いた。」「それあ、ひどい。」そいつは、悪魔だ。みじんも同情の余地が無・・・ 太宰治 「誰」
月 日。 郵便受箱に、生きている蛇を投げ入れていった人がある。憤怒。日に二十度、わが家の郵便受箱を覗き込む売れない作家を、嘲っている人の為せる仕業にちがいない。気色あしくなり、終日、臥床。 月 日。 苦悩を・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・西川一草亭の花道に関する講話の中に、投げ入れの生花がやはり元禄に始まったという事を発見しておもしろいと思った。生花はもちろん茶道、造園、能楽、画道、書道等に関する雑書も俳諧の研究には必要であると思う。たとえば世阿弥の「花伝書」や「申楽談義」・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・昔北欧を旅行したとき、たしかヘルシングフォルスの電車の運転手が背広で、しかも切符切りの車掌などは一人もいず、乗客は勝手に上がり口の箱の中へかねて買い置きの白銅製の切符を投げ入れていたように記憶している。こんなのんびりした国もあるのかと思った・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・いろいろの人が来ていろいろの光や影を自分の心の奥に投げ入れた。しかしそれについては別に何事も書き残しておくまいと思う。今こうしてただ病室をにぎわしてくれた花の事だけを書いてみると入院中の自分の生活のあらゆるものがこれで尽くされたような気がす・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・山に野に白き薔薇、白き百合を採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」 かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期なし。父と兄とは唯々として遺言の如く、憐れなる少女の亡骸を舟に運ぶ。 古き江に漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 傍机の壺に投げ入れた喇叭水仙の工合を指先でなおし乍ら、愛は、奇妙なこの感情を静に辿って行った。拘泥して居た胸の奥が、次第に解れて来る。終には、照子に対するどこやら錯覚的な愉快ささえ、ほのぼのと湧き出して来た。愛は、自分だけにしか判らな・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・お花でも投げ入れとか、お茶でも野立てとか、その場その時の条件を溌溂とした心に映して、工夫を働かせて人の心も自分の心も慰めるというものもある。仕舞はそういうものではない。その場の思いつきで舞われた仕舞というような例は天下にない。ふさわしい場面・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ 能動精神の提唱に続いてヒューマニズムの問題をとりあげた当時の日本の作家たちは、この一つの声の中に数年来の社会的・文学的諸課題を投げ入れて社会感情の統一体として提出したのであった。 今日実に意味深く顧られることは、このヒューマニズム・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 本当に、諸神が昔パンドーラに種々の贈物をされた時、私が何心なく希望を匣の下積みに投げ入れたのはよいことであった。 行って東風に頼んで来よう。少しはっきり下界の音を運びすぎる。――おやすみなさい、神々。今貴方がたの睡って被・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫