・・・というものを投書した。ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽いて、いろいろの批評や駁撃に遇うことになった。その僕の感想・・・ 有島武郎 「片信」
・・・――…………………それで主人は、詩をつくり、歌を読み、脚本などを書いて投書をするのが仕事です。画家 それは弱りましたな。けれど、末のお見込はありましょう。夫人 いいえ、その末の見込が、私が財産を持込みませんと、いびり出されるばか・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・当時の文壇の唯一舞台であった『読売新聞』の投書欄に「蛙の説」というを寄稿したのはマダ東校に入学したばかりであった。当時の大学は草創時代で、今の中学卒業程度のものを収容した。殊に鴎外は早熟で、年齢を早めて入学したからマダ全くの少年だった。が、・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・の名声に動かされて勃興したので、坪内君がなかったならただの新聞の投書ぐらいで満足しておったろう。紅葉の如きは二人とない大才子であるが、坪内君その前に出でて名を成したがために文学上のアンビションを焔やしたのでさもなければやはり世間並の職業に従・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ 父親は偏窟の一言居士で家業の宿屋より新聞投書にのぼせ、字の巧い文子はその清書をしながら、父親の文章が縁談の相手を片っ端からこき下す時と同じ調子だと、情なかった。 秋の夜、目の鋭いみすぼらしい男が投宿した。宿帳には下手糞な字で共産党・・・ 織田作之助 「実感」
・・・文章倶楽部の愛読者通信欄に投書している文学少女を笑えません。いや、もっと悪い。私は先日の手紙に於いて、自分の事を四十ちかい、四十ちかいと何度も言って、もはや初老のやや落ち附いた生活人のように形容していた筈でありましたが、はっきり申し上げると・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・最初の一年はぼくは無我夢中で訳の分らぬ小説を書き、投書しました。急にスポーツをやめた故か、人の顔をみると涙がでる、生つばがわく、少しほてる。からだが松葉で一面に痛がゆくなる。『芸術博士』に応募して落ちた時など帯を首にまきつけました。ドストエ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その写真の綺麗な学生さんは芹川さんと、何とかいう投書雑誌の愛読者通信欄とでも申しましょうか、そんなところがあるでしょう? その通信欄で言葉を交し、謂わば、まあ共鳴し合ったというのでしょうか、俗人の私にはわかりませんけれど、そんなことから、次・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・に、頭が悪いのです。もう、来年は、十九です。私は、子供ではありません。 十二の時に、柏木の叔父さんが、私の綴方を「青い鳥」に投書して下さって、それが一等に当選し、選者の偉い先生が、恐ろしいくらいに褒めて下さって、それから私は、駄目になり・・・ 太宰治 「千代女」
・・・という文字を使ったのが甚だ不都合だと云って、某新聞の投書欄でひどく腹を立てた人があった。歴史家も日本人なら、この投書家も日本人である。 老子にこんな言葉があった。「果而勿矜。果而勿伐。果而勿驕。果而勿不得止。果而勿強。」老子はなかなかフ・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫