・・・ あの、遠くから聞えて来た幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗に私からミリタリズムの幻影を剥ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的を・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・或る寒い晩なぞ、婆様は私の寝巻をみんなお剥ぎとりになっておしまいになり、婆様御自身も輝くほどお綺麗な御素肌をおむきだし下さって、私を抱いてお寝になりお温めなされてくれたこともございました。それほど婆様は私を大切にしていらっしゃったのでござい・・・ 太宰治 「葉」
・・・「その服屋の頂をうがちて、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るる時にうんぬん」というのでも、火口から噴出された石塊が屋をうがって人を殺したということを暗示する。「すなわち高天原皆暗く、葦原中国ことごとに闇し」というのも、噴煙降灰による天地晦冥の・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・今の世に在っては、鳥さしはおろか、犬殺しや猫の皮剥ぎよりも更に残忍なる徒輩が徘徊するのを見ても、誰一人之を目して不祥の兆となすものがあろう。わたくし等が行燈の下に古老の伝説を聞き、其の人と同じようにいわれもない不安と恐怖とを覚えたのは、今よ・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・その間に抽斗の草稿は一枚二枚と剥ぎ裂かれて、煙管の脂を拭う紙捻になったり、ランプの油壺やホヤを拭う反古紙になったりして、百枚ほどの草稿は今既に幾枚をも余さなくなった。風雨一過するごとに電燈の消えてしまう今の世に旧時代の行燈とランプとは、家に・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・己惚の面を剥ぎ取って真直な腰を低くするのはむしろそういう文学の影響と言わなければなりません。もし自然派の作物でありながらこういう健全な目的を達することができなければ、それこそ作物自身が悪いのであると云わなければならない。悪いという意味は作物・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・かの西洋諸国の人民がいわゆる野蛮国なるものを侵して、次第にその土地を奪い、その財産を剥ぎ、他の安楽を典して自から奉ずるの資となすが如き、その処置、毫も盗賊に異ならず。 在昔、欧羅巴の白人が亜米利加に侵入してその土人を逐い、英人が印度地方・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ こういう宗教的トルストイの考え方と、自然主義の人々或いは二十世紀初期のある種の唯物論者、たとえばイギリスの作家バーナード・ショウなどは、恋愛、結婚、家庭生活などにつきものの、ベールをすっかり剥ぎ取って、全く生物学的な解釈だけに立った。・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・ 短波を禁止していた日本当局は、誰かが優良品を輸入するとすぐ、短波受信に必要な機械の部分品をすっかりそれから剥ぎとって来た。一寸のことではもう短波の聴けないように破壊したのち、使用をゆるした。 いよいよ、明日からでも全波が聴けると告・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
・・・此の地殻の上に何処からか生れ出たものは、その出生の地を、彼等の魂のどん底から剥ぎ取る事は出来ないのである。 静かな夜の中に坐して、記憶の裡に蘇返る「祖国」に、慄えるような愛着と、叫び度くなる程の嫌厭と恐怖とを感じる時、私は此の感動が、果・・・ 宮本百合子 「無題」
出典:青空文庫