・・・当座の中こそ訪問や見物に忙がしく、夙昔の志望たる日露の問題に気焔を吐きもしようし努力もするだろうが、暫らくしたら多年の抱懐や計画や野心や宿望が総て石鹸玉の泡のように消えてしまって索然とするだろう。欧洲戦が初まる前までどころか、恐らく二、三年・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・歩いていても、何ひとつ、これという目的は無いのでございますが、けれども、みなさん、その日常が侘びしいから、何やら、ひそかな期待を抱懐していらして、そうして、すまして夜の新宿を歩いてみるのでございます。いくら、新宿の街を行きつ戻りつ歩いてみて・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・私は、いま、大事を胸に抱懐しているのであるから、うっかりした事は出来ない。老大家のような落ち付きを真似して、静かに酒を飲んでいたのであるが、酔って来たら、からきし駄目になった。 与太者らしい二人の客を相手にして、「愛とは、何だ。わかるか・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・同一の志趣を抱懐しながら、人さまざま、日陰の道ばかり歩いて一生涯を費消する宿命もある。全く同じ方向を意図し、甲乙の無い努力を以て進みながらも或る者は成功し、或る者は失敗する。けれども、成功者すなわち世の手本と仰がれるように、失敗者もまた、わ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・思想検事が「ここにおいて被告はマルクス主義思想を抱懐するにいたり」と法廷でよみあげる告発の文書の文句とは、まるでちがった本質と道ゆきとをもつことである。「伸子」の続篇を書きたいと思いはじめたのは、この時分からのことである。しかし、この願・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
出典:青空文庫