・・・小説でも歴史の本でも皆そういう巻物になっていて、それを机上の器械にはめてボタンを押すとその内容が器械のスクリーンの上に映写されて出て来るというのである。これは極端な空想であってすべての書物がことごとくそういう映画で代表されようとは考えられな・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・職人が残しましょうかと念を押すくらいだから、残したって余り目立つほどのものでもないにはきまっている。「源さん、世の中にゃ随分馬鹿な奴がいるもんだねえ」と余の顋をつまんで髪剃を逆に持ちながらちょっと火鉢の方を見る。 源さんは火鉢の傍に・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・これも宜しいと答えると、是非御買いなさいと念を押す代りに、鳥籠の講釈を始めた。その講釈はだいぶ込み入ったものであったが、気の毒な事に、みんな忘れてしまった。ただ好いのは二十円ぐらいすると云う段になって、急にそんな高価のでなくっても善かろうと・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・と、西宮は念を押す。「ふふん」と、吉里は笑ッて、「もう虐めるのはたくさん」 店梯子を駈け上る四五人の足音がけたたましく聞えた。「お客さまア」と、声々に呼びかわす。廊下を走る草履が忙しくなる。「小万さんの花魁、小万さんの花魁」と、呼ぶ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 間もなく蕈も大ていなくなり理助は炭俵一ぱいに詰めたのをゆるく両手で押すようにしてそれから羊歯の葉を五六枚のせて縄で上をからげました。「さあ戻るぞ。谷を見て来るかな。」理助は汗をふきながら右の方へ行きました。私もついて行きました。し・・・ 宮沢賢治 「谷」
・・・忘れなかったら今になって、僕の横腹を肱で押すなんて出来た義理かい。」大学士はこの語を聞いてすっかり愕ろいてしまう。「どうも実に記憶のいいやつらだ。ええ、千五百の万年の前のその時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしない・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・私たちも、そのときは、肩で人を押すようにして、乗らなければなりません。けれども、そうしてその時に乗ってしまえば、其で私たちの考えることもすんでしまったわけでしょうか。ほんとに嫌になっちゃうわ、ねえ、という丈をくりかえしていてすむものでしょう・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・ そして私に向い念を押すようにきいた。「――組合に入ってなければ大丈夫なんでしょ?」「組合に入ってたって悪かないじゃないの」 しかし、自分は娘さんの調子が心もとなくなって云った。「……組合に入っていないにしろ、ストライキ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・さおで岸を一押し押すと、舟は揺めきつつ浮び出た。 ―――――――――――― 山岡大夫はしばらく岸に沿うて南へ、越中境の方角へ漕いで行く。靄は見る見る消えて、波が日にかがやく。 人家のない岩蔭に、波が砂を洗って、海・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・窓へ手を掛けて押すとなんの抗抵もなく開く。その時がさがさと云う音がしたそうだ。小川君がそっと中を覗いて見ると、粟稈が一ぱいに散らばっている。それが窓に障って、がさがさ云ったのだね。それは好いが、そこらに甑のような物やら、籠のような物やら置い・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫