・・・此の際に在ては、徒らにコンマやピリオド、又は其の他の形にばかり拘泥していてはいけない、先ず根本たる詩想をよく呑み込んで、然る後、詩形を崩さずに翻訳するようにせなければならぬ。 実際自分がツルゲーネフを翻訳する時は、力めて其の詩想を忘れず・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・曙覧が新言語を用い新趣味を詠じ毫も古格旧例に拘泥せざりしは、なかなかに『万葉』の精神を得たるものにして、『古今集』以下の自ら画して小区域に局促たりしと同日に語るべきにあらず。ただ歌全体の調子において曙覧はついに『万葉』に及ばず、実朝に劣りた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・と書きしことさえ思い出されてなつかし、蕪村の磊落にして法度に拘泥せざりしことこの類なり。彼は俳人が家集を出版することをさえ厭えり。彼の心性高潔にして些の俗気なきこともって見るべし。しかれども余は磊落高潔なる蕪村を尊敬すると同時に、小心ならざ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 面喰い、猶も同じ疑問に拘泥して居る間に、彼は、薄平たい風呂敷包みを持って立ち上った。そして、片手の指には、火のつき煙の立つ煙草を挟んだまま、両足を開いて立ち、「失礼しました。左様なら」と云う。私も立って「左様なら」と云・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・社会生活におけるそのことの必然を認めることさえ罪悪とした軍部の圧力は、若い精神に、この苛烈な運命に面して自分としてのすべてに拘泥することをいさぎよしとせず、それをみにくいことと思わせるほどに成功していた。だから一九四五年以後にこれらの若い精・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・ 傍机の壺に投げ入れた喇叭水仙の工合を指先でなおし乍ら、愛は、奇妙なこの感情を静に辿って行った。拘泥して居た胸の奥が、次第に解れて来る。終には、照子に対するどこやら錯覚的な愉快ささえ、ほのぼのと湧き出して来た。愛は、自分だけにしか判らな・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・そんなことを拘泥していらっしゃらないだろうけれども、私とすれば厭なのよ。 街の並木の黄葉がきれいだそうです。[自注4]ウワバミ元気のこと――「ウワバニン」の注射のために百合子は亢奮状態におかれて結果がよくなかった。そこで「ウ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・要するに文学青年どものもてあそびもので、作家は遂に文学青年目あてに技法の末技末節に拘泥した堕落におかれているのがきょうの現実である、純文芸の雑誌の経営困難も単行本の売ゆきの減少もすべてそこに原因をおいている、須くそのような文壇を解消せよと云・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・しかし、いわゆる文章には余り拘泥しません。私のはいつも、ある材料について、その対象をいかに巧く書くかというのではなく、いかに見、いかに感じたかということが主眼なのです、そして表現は自らそれに伴なってくるものという考え方です。そういう点、里見・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・題材から云えば、そのまま一層ひろく、ひろくと拡がってゆき、拡りかたは如何にも惶しかったが、程なくその奔走の姿も新しい看察を伴ってみられるようになり、現在ではあれこれ表面的な題材に拘泥せず、今日の荒い現実のなかへ作家は身ぐるみとびこんで描けと・・・ 宮本百合子 「人生の共感」
出典:青空文庫