・・・そこで先生がこう云うと、その豪傑連の一人がミットを弄びながら、「ええ、あんまり――何です。皆あんまり、よく出来ないようだって云っています。」と、柄にもなくはにかんだ返事をした。すると丹波先生はズボンの砂を手巾ではたきながら、得意そうに笑・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・いつなりけん、途すがら立寄りて尋ねし時は、東家の媼、機織りつつ納戸の障子より、西家の子、犬張子を弄びながら、日向の縁より、人懐しげに瞻りぬ。 甲冑堂 橘南谿が東遊記に、陸前国苅田郡高福寺なる甲冑堂の婦人像を記せるあり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・本の古美術品も其実三分の一は茶器である、然るにも係らず、徒に茶器を骨董的に弄ぶものはあっても、真に茶を楽む人の少ないは実に残念でならぬ、上流社会腐敗の声は、何時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・併し独楽は下劣の児童等と独楽あてを仕て遊ぶのが宜くないというので、余り玩び得なかったでした。紙鳶は他の子供が二枚も三枚も破り棄てて仕舞う間に自分は一枚の紙鳶を満足にあげて遊んで居た程でした。これは紙鳶を破るような拙なことを仕無いのと、一つは・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ 勘次は安次の紫色に変っている指さきを弄びながらそう云うと、「苦しかったやろまいか。可哀想に、水いっぱい飲ましてくれる者がありゃせんしさ。」とお留が云った。「やっぱり極道すると、碌な死にざま出来やせんなア。」とお霜は云った。・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫