・・・ちょうど見舞いに来合せていた、この若い呉服屋の主人は、短い口髭に縁無しの眼鏡と云う、むしろ弁護士か会社員にふさわしい服装の持ち主だった。慎太郎はこう云う彼等の会話に、妙な歯痒さを感じながら、剛情に一人黙っていた。 しかし戸沢と云う出入り・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・「ところが実際そう云う事実が、持ち主にあったと云うのです。」 田代君は椅子に腰を下すと、ほとんど物思わしげなとも形容すべき、陰鬱な眼つきになりながら、私にも卓子の向うの椅子へかけろと云う手真似をして見せた。「ほんとうですか。」・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・別荘の側へ帰って独で呟くような声を出して居た。 冬の夜は永い。明別荘の黒い窓はさびしげに物音の絶えた、土の凍た庭を見出して居る。その内春になった。春と共に静かであった別荘に賑が来た。別荘の持主は都会から引越して来た。その人々は大人も子供・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・人の知った名水で、並木の清水と言うのであるが、これは路傍に自から湧いて流るるのでなく、人が囲った持主があって、清水茶屋と言う茶店が一軒、田畝の土手上に廂を構えた、本家は別の、出茶屋だけれども、ちょっと見霽の座敷もある。あの低い松の枝の地紙形・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ が、持主でない。その革鞄である。 三 這奴、窓硝子の小春日の日向にしろじろと、光沢を漾わして、怪しく光って、ト構えた体が、何事をか企謀んでいそうで、その企謀の整うと同時に、驚破事を、仕出来しそうでならなかっ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・かならずしも英国のごとく世界の陸面六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。然り、それよりも小なる国で足ります。外に拡がらんとするよりは内を開発すべきであります。 第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではあり・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・そのりんご畑の持ち主を、私は、まんざら知らないことはありません、その主人に、私は、あなたを紹介しましょう。そして、私も、あなたといっしょに働いてもいいと思います。これから、二人は、そこへいって働こうじゃありませんか。」といいました。 若・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・彼等のすべてが人道主義者として、また殉教的な敬虔な心の持主として、人生のために戦うに至るのもこれあるがためです。 こゝに於て、芸術は畢竟享楽のためでなくして、一個の目的を有さなければならぬことを知ることが出来ます。 私は、この美に向・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・ 私の友人に、寝る前に香り高い珈琲を飲まなければ眠れないという厄介な悪癖の持主がいる。飲む方も催眠剤に珈琲を使用するようでは、全く憂鬱だろうが、そんな風に飲まれる珈琲も恐らく憂鬱であろう。 それと同じでんで、大阪を書くということは、・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・が、幸か不幸か公判記録の持主にめぐり会うことは出来なかった。そして空しく七年が過ぎて殆ど諦めかけていたある日、遂にそれを手に入れることが出来た。雁次郎横丁の天辰の主人がたまたま持っていたのである。四 雁次郎横丁――今はもう跡・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫