・・・そんな風であるから、どうして外の人の事に気を留める隙があろう。自分と一しょに歩いているものが誰だということをも考えないのである。連とはいいながら、どの人をも今まで見た事はない。ただふいと一しょになったのである。老人の前を行く二人は、跡から来・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 船は追手の風で浪の上をすらすらと走って、間もなく大きな大海の真中へ出ました。 そうすると、さっきのむく犬が、用意してある百樽のうじ虫をみんな魚におやりなさいと言いました。ウイリイはすぐに樽をあけて、うじ虫をすっかり海へ投げこみまし・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・クリスマスの晩だのに、そんな風に一人で坐っているところを見ると、まるで男の独者のようね。ほんとにお前さんのそうしているところを見ると、わたし胸が痛くなるわ。珈琲店で、一人ぼっちでいるなんて。お負けにクリスマスの晩だのに。わた・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ その時ひびきを立てて、海から大風が来て森の中をふきぬけました。この大きな神風にあっては森の中の木という木はみななびき伏しました。その中で一本のわかい松も幹をたわめて、寄るべないこのおかあさんの耳に木のこずえが何かささやきました。しかし・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・又、彼女の唇は、心の中に湧いて来る種々な思いに応じて、物は云わないでも、風が吹けば震える木の葉のように震えました。 私共が言葉で自分達の考えを表す時、仲だちとなるものは容易に見つかりません。大抵の場合不確な考えの翻訳と云う順序を踏まなけ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・なめている風がある。長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。脊丈が、五尺三寸あった。すごく、痩せている。弟妹たちに、馬、と呼ばれることがある。髪を短く切って、ロイド眼鏡をかけている。心が派手で、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ この都に大勢いる銀行員と云うものの中で、この男には何の特色もない。風采はかなりで、極力身なりに気を附けている。そして文士の出入する珈琲店に行く。 そこへ行けば、精神上の修養を心掛けていると云う評を受ける。こう云う評は損にはならない・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・この男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘の深い田畝道に古い長靴を引きずっていくし、風の吹く朝には帽子を阿弥陀にかぶって塵埃を避けるようにして通るし、沿道の家々の人は、遠くからその姿を見知って、もうあの人が通ったから、あなたお・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ おれは聞えない振りをして、ずんずん歩いた。そうすると大騒ぎになった。電車に乗っていた連中が総立ちになる。二人はおれを追い掛けに飛んで下りる。一人は車掌に談判する。今二人は運転手に談判する。車の屋根に乗っている連中は、蝙蝠傘や帽やハンケ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・そんな風であるから、ともかくも彼が教育という事に無関心な仙人肌でない事は想像される。 アインシュタインの考えでは、若い人の自然現象に関する洞察の眼を開けるという事が最も大切な事であるから、従って実科教育を十分に与えるために、古典的な語学・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
出典:青空文庫