・・・これが看板で、小屋の正面に、鼠の嫁入に担ぎそうな小さな駕籠の中に、くたりとなって、ふんふんと鼻息を荒くするごとに、その出額に蚯蚓のような横筋を畝らせながら、きょろきょろと、込合う群集を視めて控える……口上言がその出番に、「太夫いの、太夫・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・住所を知らせてくれと言うのである。住所を控えると、「――ぜひ来とくれやっしゃ。あんさんは第一番に来て貰わんことには……」 雑誌のことには触れなかったが、雑誌で激励された礼をしたいという意味らしかった。 二つとも私自身想いだすのも・・・ 織田作之助 「神経」
・・・ 自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのを至当の礼儀のように思った。 では兄さん、この残り餌を土で団めておくれでないか、なるべく固く団めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣った魚を悉皆でもいく・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・つつましく控えることを忘れてしまったのである。 宴会の席が定まった。私は、まさしく文字どおりの末席であった。どさくさして、まあまあなどと言い合っているうちに、私は末席になっていたのである。けれども、十のうち三分は、意識して、末席を選んだ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・提出を控えるだけならば誠に結構であるが、論文を書くまでに必要な肝心の研究を見合せて転向を想うようになる人の数が幾分でも多くなって来るのであったら、これは少し考えものではないか。 博士がえらいものであったのは何十年前の話である。弊衣破帽の・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・この愚かな身の程をわきまえぬ一篇の偶感録もこのくらいにして差控えるべきであろう。 ある日の午前に日比谷近く帝国ホテルの窓下を通った物売りの呼び声が、丁度偶然そのときそこに泊り合わせていた楽聖クライスラーの作曲のテーマになったという話があ・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・前者の例は差控える事にして、後者の例を試みに昨年の帝展から取ってみると、例えば「雪」という題で、二曲屏風一双に、枯枝に積った雪とその陰から覗く血のような椿とを描いたのがあった。描き方としては随分重苦しく厚ぼったいものである。軽妙な仕上げを生・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・それで兼山のような一国の信望の厚い人がそう言えば、普通のまじめな良民で命の惜しい人はまずまず椋鳥を食うことはなるべく控えるようになる。そこが兼山のねらいどころであったろう。 これが「百羽に一羽」というのではまずい。もし一プロセントの中毒・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・保釈の際、判事は二・二六による戒厳令下の事情によって百合子の公判が終了するまで顕治への面会通信は控えるようにといった。 六月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 二十六日の夜。九時 第一信[自注2] 今・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・若し私が筆を控えることがあれば、其れは、未完成な自分が、先生の全部を知るに足りないものであると云う自覚によるばかりだ。私は先生に自分を些も隠そうとしないと同様に、自分は先生から遠慮なく何でも感じられる丈のものを感じ、吸収される丈のものを吸収・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
出典:青空文庫