・・・先生と高瀬と一緒にその室へ行った時は、大尉は隅のところに大きな机を控えていた。高瀬は、大尉とは既に近づきに成っていた。「正木先生は大分漢書を集めて被入っしゃいます――法帖の好いのなども沢山持って被入っしゃる」と先生は高瀬に言った。「何か・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・次郎や末子というものも控えていた。私も骨が折れる。でも、私は子供らと一緒に働くことを楽しみにして、どんなに離れて暮らしていても、その考えだけは一日も私の念頭を去らなかった。 思いもよらない収入のある話が、この私の前に提供されるようになっ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・けれども、私の傍には厳然と、いささかも威儀を崩さず小坂氏が控えているのだ。五分、十分、私は足袋と悪戦苦闘を続けた。やっと両方履き了えた。「さあ、どうぞ。」小坂氏は何事も無かったような落ちついた御態度で私を奥の座敷に案内した。小坂氏の夫人・・・ 太宰治 「佳日」
・・・いう、正則英語学校のすぐ次の通りで、街道に面したガラス戸の前には、新刊の書籍の看板が五つ六つも並べられてあって、戸を開けて中に入ると、雑誌書籍のらちもなく取り散らされた室の帳場には社主のむずかしい顔が控えている。編集室は奥の二階で、十畳の一・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ちょっとした庭を控えて、庭と桑畑との境の船板塀には、宿の三毛が来てよく昼眠をする。風が吹けば塀外の柳が靡く。二階に客のない時は大広間の真中へ椅子を持出して、三十疊を一人で占領しながら海を見晴らす。右には染谷の岬、左には野井の岬、沖には鴻島が・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・女が三四人次の間に黙って控えていた。遺骸は白い布で包んでその上に池辺君の平生着たらしい黒紋付が掛けてあった。顔も白い晒しで隠してあった。余が枕辺近く寄って、その晒しを取り除けた時、僧は読経の声をぴたりと止めた。夜半の灯に透かして見た池辺君の・・・ 夏目漱石 「三山居士」
・・・甲組競技場に立つ時は乙組は球を打つ者ら一、二人(四人を越の外はことごとく後方に控えおるなり。 本基 第一基 第二基 第三基 攫者の位置 投者の位置 短遮の位置 第一基人の位置 第二基人の位置 第三・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 話しながら自分はちょいちょい、母親の手提袋を膝にのせて控えている妹の顔に視線をやった。母親との話はすぐとぎれた。すると妹が、「――やせたわね」と眼に力を入れて云って、可愛い生毛の生えた口許にぎごちないような微笑を泛べた。「・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 列座の者の中から、「弱輩の身をもって推参じゃ、控えたらよかろう」と言ったものがある。長十郎は当年十七歳である。「どうぞ」咽につかえたような声で言って、長十郎は三度目に戴いた足をいつまでも額に当てて放さずにいた。「情の剛い奴じゃ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・物見高い都会のことであるから、いそがしい用事を控えた人までが何事かと好奇心を起こしてのぞきにくる。老人は怒りの情にまかせて過激な言を発せぬとも限らぬ。例えば中岡良一を賞讃して、彼はまことに国士であった、志士であった、というようなことを言い出・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫