・・・ 久しぶりでおとよも曇りのない笑いを見せながら、なお何となし控え目に内輪なるは、いささか気が咎むるゆえであろう。 籠を出た鳥の二人は道々何を見ても面白そうだ。道ばたの家に天竺牡丹がある、立ち留って見る。霧島が咲いてる、立ち留って見る・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・八、九歳頃の彼はむしろ控え目で、あまり人好きのしない、独りぼっちの仲間外れの観があった。ただその頃から真と正義に対する極端な偏執が目に立った。それで人々は「馬鹿正直」という渾名を彼に与えた。この「馬鹿正直」を徹底させたものが今日の彼の仕事に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・既に温良恭謙柔和忍辱の教に瞑眩すれば、一切万事控目になりて人生活動の機を失い、言う可きを言わず、為す可きを為さず、聴く可きを聴かず、知る可きを知らずして、遂に男子の為めに侮辱せられ玩弄せらるゝの害毒に陥ることなきを期す可らず。故に此一章の文・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 古来の習慣に従えば、凡そこの種の人は遁世出家して死者の菩提を弔うの例もあれども、今の世間の風潮にて出家落飾も不似合とならば、ただその身を社会の暗処に隠してその生活を質素にし、一切万事控目にして世間の耳目に触れざるの覚悟こそ本意なれ。・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・彼の美点であり、弱点である正直などこまでも控目勝ちなところを彼等は、どしどしと利用するのである。 利用するとまではっきり意識しないでも、皆があまりぞっとしないことを、禰宜様宮田のところへさえ持って行けば遣ってくれるから、どうしても彼に押・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 波ともいわれない水の襞が、あちらの岸からこちらの岸へと寄せて来る毎に、まだ生え換らない葦が控え目がちにサヤサヤ……サヤサヤ……と戦ぎ、フト飛び立った鶺鴒が小波の影を追うように、スーイスーイと身を翻す。 ところどころ崩れ落ちて、水に・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・更に彼は、そういう自然力と科学の力との間にある可能を現実とするために決定的な大きい作用をもたらす人間の種類をも計画し、二組の探検隊を想定して、一方はベスファミーリヌイという訓練の出来た、控え目な、自信から発する落つきのある男、一方は甚しく熱・・・ 宮本百合子 「文学のひろがり」
・・・「体は大層好くなりましたが、なんだかこう控え目に、考え考え物を言うようではございませんか。」「それは大人になったからだ。男と云うものは、奥さんのように口から出任せに物を言ってはいけないのだ。」「まあ。」奥さんは目をみはった。四十代が・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・万事控目で踏み切ったことが出来ない。そこで判事試補の月給では妻子は養われないと、一図に思っていたのだろう。土地が土地なので、丁度今夜のような雪の夜が幾日も幾日も続く。宮沢はひとり部屋に閉じ籠って本を読んでいる。下女は壁一重隔てた隣の部屋で縫・・・ 森鴎外 「独身」
・・・それにしても控え目で無口なお佐代さんがよくそんなことを母親に言ったものだ。これはとにかく父にも弟にも話してみて、出来ることなら、お佐代さんの望み通りにしたいものだと、長倉のご新造は思案してこう言った。「まあ、そうでございますか。父はお豊さん・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫