・・・そこは献納提灯がいくつも掛っていて、灯明の灯が揺れ、線香の火が瞬き、やはり明るかったが、しかし、ふと暗い隅が残っていたりして、道頓堀の明るさと違います。浜子は不動明王の前へ灯明をあげて、何やら訳のわからぬ言葉を妙な節まわしで唱えていたかと思・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「ぐるりに人がたくさん集まって見ていましたよ。提灯を借りて男が出て来ましてね。さ、どいてくれよと言って、前の人をどかせて牛を歩かせたんです――みんな見てました……」 姑の貌は強い感動を抑えていた。行一は「よしよし、よしよし」膨ら・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ その夜私は提灯も持たないで闇の街道を歩いていた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。街道へその家の燈が光を投げている。そのなかへ突然姿をあ・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・香水、クリイム、ピン、水白粉、油、ヘアネット、摺り硝子の扇形の壜、ヘチマ形の壜。提灯形の壜。いろいろさまざまな恰好の壜がはいったボール箱が橇いっぱいに積みこまれた。呉は、その上へアンペラを置いた。そして、その上へ、秣草を入れた麻袋を置いた。・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・お島の許へ手習に通って来る近所の娘達も、提灯をつけて帰って行った。四辺には早く戸を閉めて寝る家も多い。沈まり返った屋外の方で、高瀬の家のものは誰の声とは一寸見当のつかない呼声を聞きつけた。「高瀬君――」「高瀬、居るか――」 声は・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・小提灯を消すと、蝋燭から白い煙がふわふわと揚る。「奥さま、今度の狐もやっぱり似とりますわいの」と言ってげらげらと初やが笑う。 饅頭を食べながら話を聞くと、この饅頭屋の店先には、娘に化けて手拭を被った張子の狐が立たせてあった。その狐の・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・なぎさに破れた絵日傘が打ち寄せられ、歓楽の跡、日の丸の提灯も捨てられ、かんざし、紙屑、レコオドの破片、牛乳の空瓶、海は薄赤く濁って、どたりどたりと浪打っていた。 緒方サンニハ、子供サンガアッタネ。 秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・昼提灯をさげて人を捜した男もあったのである。 しかしこれはあまりに消極的な考えかもしれない。自分はここでそういう古い消極的な独善主義を宣伝しようというのではない。また自然の野山に黙って咲く草木の花のように、ありとあらゆる美しい事、善い事・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・白日の下に駒を駛せて、政治は馬上提灯の覚束ないあかりにほくほく瘠馬を歩ませて行くというのが古来の通則である。廟堂の諸君は頭の禿げた政治家である。いわゆる責任ある地位に立って、慎重なる態度を以て国政を執る方々である。当路に立てば処士横議はたし・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・父はこの淀井を伴い、田崎が先に提灯をつけて、蟲の音の雨かと疑われる夜更の庭をば、二度まで巡回された。私は秋の夜の、如何に冷かに、如何に清く、如何に蒼いものかを知ったのも、生れて此の夜が初めてであった。 母上は其の夜の夜半、夢ではなく、確・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫