・・・人間の撃剣や拳闘でも勝負を決する因子は同じであろうが、人間には修練というものでこの因子を支配する能力があるのに動物はただ本能の差があるだけであろう。 王蛇がいたちのような小獣と格闘するときの身構えが実におもしろい見ものである。前半身を三・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・従って人を切る場合にでも同様なことが当てはまるであろうと思われる。撃剣でも竹刀の打ち込まれる電光石火の迅速な運動に、この同じ手首が肝心な役目を務めるであろうということも想像されるであろう。 こんな話を偶然ある軍人にしたら、それはおもしろ・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・すなわち攫者が面と小手(撃剣を着けて直球を攫み投者が正投を学びて今まで九球なりし者を四球に改めたるがごときこれなり。次にその遊技法につきて多少説明する所あるべし。○ベースボールに要するもの はおよそ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生なら・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・「あの人は何ですか。」私は火にあたっているアーティストにたずねました。「撃剣の先生です。」 ところがその撃剣の先生はつかつかと歩いて来ました。「うちの中のあかりを消せい、電燈を消してもべつのあかりをつけちゃなんにもならん。は・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・六郎は東京にて山岡鉄舟の塾に入りて、撃剣を学び、木村氏は熊谷の裁判所に出勤したりしに、或る日六郎尋ねきて、撃剣の時誤りて肋骨一本折りたれば、しばしおん身が許にて保養したしという。さて持てきし薬など服して、木村氏のもとにありしが、いつまでも手・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫