・・・ と、手拭で頬辺を、つるりと撫でる。「あッ。」と、肝を消して、「まあ、小母さん。」 ベソを掻いて、顔を見て、「御免なさい。御免なさい。父さんに言っては可厭だよ。」 と、あわれみを乞いつつ言った。 不気味に凄い・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・と中腰になって、鉄火箸で炭を開けて、五徳を摺って引傾がった銅の大薬鑵の肌を、毛深い手の甲でむずと撫でる。「一杯沸ったのを注しましょうで、――やがてお弁当でござりましょう。貴下様組は、この時間御休憩で?」「源助、その事だ。」「はい・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ こいつを、フッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋の天窓を撫でるかと思うと、次へ飛んで、あの涅槃に入ったような、風除葛籠をぐらぐら揺ぶる。 八 その時きゃっきゃっと高笑、靴をぱかぱかと傍へ外れて、どの店と見当・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・……すべりを扱いて、思わず撫でると、これがまた化かされものが狐に対する眉毛に唾と見えたろう。 金切声で、「ほほほほほほ。」 十歩ばかり先に立って、一人男の連が居た。縞がらは分らないが、くすんだ装で、青磁色の中折帽を前のめりにした小造・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・と言って、お光はそっと帯の上を撫でる。「けれど、いつまで待ってくれとおっしゃるのだか、それも分らないのでしょうねえ。あれも来年は二十でございますからね、もう一だの二だのという声がかかった日にゃ、それこそ縁遠いのがなお縁遠くなりますからね・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・頭を撫でると、顔をしかめた。 一時間ほどして帰って行った。夫に内緒で来たと言った。「あんな養子にき、き、気兼ねする奴があるか」妹の背中へ柳吉はそんな言葉を投げた。送って廊下へ出ると、妹は「姉はんの苦労はお父さんもこの頃よう知ったはりまっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・向日性を持った、もやしのように蒼白い堯の触手は、不知不識その灰色した木造家屋の方へ伸びて行って、そこに滲み込んだ不思議な影の痕を撫でるのであった。彼は毎日それが消えてしまうまでの時間を空虚な心で窓を展いていた。 展望の北隅を支えている樫・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・馬の腹がざわざわと薄の葉を撫でる。 そこを出ると水天宮の社である。あとで考えると、このへんで引き返しさえしたらよかったのに、自分はいつまでも馬の臀について、山畠を五つも六つも越えて、とうとお長の行くところまで行ったのであった。谷合いの畠・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・駅は田畑の真中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真暗闇、稲田を撫でる風の音がさやさや聞え、蛙の声も胸にしみて、私は全く途方にくれました。佐吉さんでも居なければ、私にはどうにも始末がつかなかったのです。汽車賃や何かで、姉から・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・いたわり撫でるつもりで、ひっ掻いている。塚本虎二氏の、「内村鑑三の思い出」を読んでいたら、その中に、「或夏、信州の沓掛の温泉で、先生がいたずらに私の子供にお湯をぶっかけられた所、子供が泣き出した。先生は悲し相な顔をして、『俺のすることは・・・ 太宰治 「作家の像」
出典:青空文庫