・・・ 私は熟と視て、――長野泊りで、明日は木曾へ廻ろうと思う、たまさかのこの旅行に、不思議な暗示を与えられたような気がして、なぜか、変な、擽ったい心地がした。 しかも、その中から、怪しげな、不気味な、凄いような、恥かしいような、また謎の・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・床へ坐って…… ちっと擽ったいばかり。こういう時の男の起居挙動は、漫画でないと、容易にその範容が見当らない。小県は一つ一つ絵馬を視ていた。薙刀の、それからはじめて。―― 一度横目を流したが、その時は、投げた単衣の後褄を、かなぐり取っ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ その上にいま……何だか足が擽ったいようですね。」 記者はシイツに座をずらした。「いえ、決して、その驚かし申すのではありません。それですから、弁天島の端なり、その……淡島の峯から、こうこの巌山を視めますと、本で見ました、仙境、魔界と・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・「ああ、擽ったい。」「何でがすい。」 と、何も知らず、久助は墓の羽織を、もう一撫で。「この石塔を斎き込むもくろみだ。その堂がもう出来て、切組みも済ましたで、持込んで寸法をきっちり合わす段が、はい、ここはこの通り足場が悪いと、・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・と、自分は彼女のニコニコした顔と紅い模様や鬱金色の小ぎれと見較べて、擽ったい気持を感じさせられた。「ほんとに安いものね。六円いくらでみんな揃うんだから……」 自分はクルリと寝返りを打ったが、そっと口の中で苦笑を噛み潰した。 六円・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・お絹は擽ったい顔をしていた。「あれは兄弟じゅうで一番素直だ。僕の家でも評判がいい」「十円もする香水なんか奥さんに貰ってきたんですて」「少し吹いてやしない」道太は苦笑した。「そう、少し喇叭の方かもしれん」「家のやつも人を悦・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 彼は、擽ったい焦立たしさを感じた。彼はぶっきら棒に云った。「さっきの返事は?」「はい?」「さっきの電話の返事は?」「ああ、ほんにまあ。――丁度お豆腐やさんがね参りまして」「何て依岡で云ったんだ」「――依岡様でよ・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 時によると、女客が仰山な声で、「あら、いやだ。擽ったいわ!」などと叫んだ。「どう致しまして! これは……その、丁重に致しましたんで……」 或る日のことであった。主人やサーシャが店の裏の小室にいて、店に番頭が一人女客を対・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫