・・・が、それだけなら、ともかくも金で埓の開く事ですが、ここにもう一つ不思議な故障があるのは、お敏を手離すと、あの婆が加持も占も出来なくなる。――と云うのは、お島婆さんがいざ仕事にとりかかるとなると、まずその婆娑羅の大神をお敏の体に祈り下して、神・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・何、黒山の中の赤帽で、そこに腕組をしつつ、うしろ向きに凭掛っていたが、宗吉が顔を出したのを、茶色のちょんぼり髯を生した小白い横顔で、じろりと撓めると、「上りは停電……下りは故障です。」 と、人の顔さえ見れば、返事はこう言うものと極め・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・それだし、もしか、船に故障があったら、おーいと呼ぶか、手を敲けば、すぐに誰か出て来るからって、女中がそう言っていたんですから。」とまた玉江が言う。 成程、島を越した向う岸の萩の根に、一人乗るほどの小船が見える。中洲の島で、納涼ながら酒宴・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・勿論まるきり、その人たちに留めさせる事の出来ない事は、解って、あきらめなければならないまでも、手筈を違えるなり、故障を入れるなり、せめて時間でも遅れさして、鷭が明らかに夢からさめて、水鳥相当に、自衛の守備の整うようにして、一羽でも、獲ものの・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ただ若いものらが多勢でやりたがるからこれに故障を言わないまでのことだ。ほかの人たちはそうでない。多勢でしたらおもしろかろうと思って二軒いっしょにお互いこの稲刈りをしたのだが、なんだかみんなの心がてんでん向き向きのようで、格別おもしろくなかっ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・もう私の体はたいした故障もなくおとよさんのものです。ですから私の方は、今あせって心配しなくともよいです。それに二人について今世間が少しやかましいようですから、ここしばらく落ちついて時を待ちましょう。それにしてもおとよさんにはまたおとよさんの・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・馬琴が右眼に故障を生じたのは天保四年六十七歳の八、九月頃からであったが、その時はもとより疼痛を伴わなかったのであろう、余り問題としなかったらしい。が、既に右眼の視力を奪われたからには、霜を踏んで堅氷到るで、左眼もまたいつ同じ運命に襲われるか・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ みんな同じような頭を持って、生まれてきながら、よくできる人になり、また、そうでない人となるのは、やはり、この二本のいちじゅくの木のように、どこかに故障があったにちがいなかろう? 自分の力でできることは、よく反省して、注意を怠ってはなら・・・ 小川未明 「いちじゅくの木」
・・・「たぶんこの大波でゆくえを迷ったか、それとも船に故障ができてこの港に入ってきたのでありましょう。」といったものもありました。そこでその船に向かって、陸からいろいろの合図をいたしました。けれど、その船からはなんの返答もありませんでした・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・ しかし、不思議なことに、まだ陸に向かって、幾らも舟を返さないうちに、どの船も、なんの故障がないのに、しぜんと海にのみ込まれるように、音もなく沈んでしまいました。 つぎの話は、寒い冬の日のことです。海の上は、あいかわらず、銀のよ・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
出典:青空文庫