・・・日本もまた小児に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?「大唐の軍将、戦艦一百七十艘を率いて白村江・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・英吉利語を教える報酬は僅かに月額六十円である。片手間に書いている小説は「中央公論」に載った時さえ、九十銭以上になったことはない。もっとも一月五円の間代に一食五十銭の食料の払いはそれだけでも確かに間に合って行った。のみならず彼の洒落れるよりも・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・風にもめげずに皆駆出すが、ああいう児だから、一人で、それでも遊戯さな……石盤へこう姉様の顔を描いていると、硝子戸越に……夢にも忘れない……その美しい顔を見せて、外へ出るよう目で教える……一度逢ったばかりだけれども、小児は一目顔を見ると、もう・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・しかしながら地質学、動物学を教えることのできる人は実に少い。文学者はたくさんいる、文学を教えることのできる人は少い。それゆえにこの学校に三、四十人の教授がいるけれども、その三、四十人の教師は非常に貴い、なぜなればこれらの人は学問を自分で知っ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ けれど、その子供は、教えるあとから忘れてしまったのです。「おまえみたいなばかは少ない。ほかの子供がこうして覚えるのに、それを忘れるというのは魂が腐っているからだ。おまえみたいな子供は、普通のことでは性根が直らない。」と、教師はいっ・・・ 小川未明 「教師と子供」
・・・そして、子供達は、親達さえ、また、教える者さえ、真面目であり、真剣であれば、いつでも、共に悲しみ、共に喜び、考えるものです。このことは、即ち、親達が、そして教える人達が、先ず真理の熱愛者でなければならぬことを語るに他ならないと思うのでありま・・・ 小川未明 「読んできかせる場合」
・・・の秩序であると、われわれに教える。「見ようとしないで見ている眼」が「即かず離れず」の手で書いたものが、過不足なき描写だと、教える。これが日本の文学の考え方だ。最高の境地だという定説だ。猫も杓子も定説に従う。亜流はこの描写法を小説作法の約束だ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 南方で日本語を教えるには標準語が話せなくてはならない、しかし自分は三年間東京にいたからその点は大丈夫だと、道子はわざわざ東京の学校へ入れてくれた姉の心づくしが今更のように思い出された。 志願書を出して間もなく選衡試験が行われる。そ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・ 口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。 末遠いパノラマのなかで、花火は星水母ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。 しばらくすると少・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 行一は妻に教える。春埃の路は、時どき調馬師に牽かれた馬が閑雅な歩みを運んでいた。 彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼らは日向や土の匂いのするようなそこの・・・ 梶井基次郎 「雪後」
出典:青空文庫