・・・ わたくしは今日の中学校では英語を教えるのに如何なる書物を用いているか全く不案内である。中学校で英語を教えることは有害無益だという説もだんだん盛になって来るようである。思出すままに、わたくしたちが三、四十年前中学校でよんだ英文の書目を挙・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・女の嫌いな人に強て女の美を説き教える必要はない。酒に害あるはいわずと知れた話である。然もその害毒を恐れざる多少の覚悟と勇気とがあって、初めて酒の徳を知り得るのである。伝聞く北米合衆国においては亜米利加印甸人に対して絶対に火酒を売る事を禁ずる・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「あてなくっても好いから教えるさ」「何でも七つばかりある」「そんなにあるかい。何と何だい」「何と何だって、たしかにあるんだよ。第一爪をはがす鑿と、鑿を敲く槌と、それから爪を削る小刀と、爪を刳る妙なものと、それから……」「・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、平民に生存の意義を教える事のできない人を云うのです。こう云う人は肩で呼吸をして働いていたって閑人です。文芸家はいくら縁側に昼寝をしていたって閑人じゃない。文芸家のひまとのらくら華族や、ずぼら金持のひま・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・というのは、当時の語学校はロシアの中学校同様の課目で、物理、化学、数学などの普通学を露語で教える傍ら、修辞学や露文学史などもやる。所が、この文学史の教授が露国の代表的作家の代表的作物を読まねばならぬような組織であったからである。 する中・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信ずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示さないのだろう。一千九百廿五年十月廿五日今日は土性調査の実習だった。僕は第二班の・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・通州の事件について書いている尾崎士郎氏と山本実彦氏の文章の対比はこの点について教えるところがある。山本氏が持っているものは、どちらかと云えば政治家風な通であって、新しい内容での客観的知識、科学的知識ではない。それでも、まだ素朴な感傷でだけ結・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・又子供に神話を歴史として教えるのも、同じく当り前だとしているのではあるまいか。そして誰も誰も、自分は神話と歴史とをはっきり別にして考えていながら、それをわざと擣き交ぜて子供に教えて、怪まずにいるのではあるまいか。自分は神霊の存在なんぞは少し・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・と云う意味なら、それは今よりより一段馬鹿になれと教えることとさして変る所がない。何ぜなら生活の感覚化はより滅亡相への堕落を意味するにすぎないからだ。もしも彼らが感覚派なるものに向って、感覚派も根本的生活活動から感覚的であらざるが故に、感覚派・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・一高の方ではちょうどそれに当たるような教授として岩元禎先生がいられたが、しかしそのころの岩元先生はただドイツ語を教えるだけで、講義はされなかった。論理学、心理学、倫理学など、哲学関係の講義は、速水滉さんの受持であった。従って岩元先生の哲学に・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫