・・・いろいろ教えて頂戴したのね。難有うよ。お前さんのお蔭で、わたしはあの人が本当に可哀くなったんだから、それもお前さんにお礼を言っても好いわ。わたしもう行ってよ。そしてあの人を可哀がって遣るわ。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・銀座の不二屋でお茶を飲んでいたときにも、肘で私をそっとつついて、佐々木茂索がいるぞ、そら、おまえのうしろのテエブルだ、と小声で言って教えてくれたことがありますけれど、ずっとあとになって、私が直接、菊池先生や佐々木さんにお目にかかり、兄が私に・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・神がこの世にいますなら、どうか救けてください、どうか遁路を教えてください。これからはどんな難儀もする! どんな善事もする! どんなことにも背かぬ。 渠はおいおい声を挙げて泣き出した。 胸が間断なしに込み上げてくる。涙は小児でもあるよ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・迫害者に対しては常に受動的であり、教えを乞う者にはどんな馬鹿な質問にでも真面目に親切に答えている。 智能の世界においての貴族である彼は社会の一員としては生粋のデモクラットである。国家というものは、彼にとってはそれ自身が目的でも何でもない・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・十年も前にいったん人に取られたことは、道太も聞いていたが、おひろのまた下の妹が、そのころ別に一軒出していて、お絹は母親といっしょに、廓の外に化粧品の店を出すかたわら、廓の子供たちに踊りを教えていた。道太はそこへも訪ねたことがあったが、廓を出・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・人が教えらえたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛し・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・三吉は彼にクロポトキンを教えられ、ロシア文学もフランス文学も教えられた。土地の新聞の文芸欄を舞台にして、彼の独特な文章は、熊本の歌つくりやトルストイアンどもをふるえあがらせた。五尺たらずで、胃病もちで、しなびた小さい顔にいつも鼻じわよせなが・・・ 徳永直 「白い道」
・・・そしてここは原木といい、あのお寺は妙行寺と呼ばれることを教えられた。 寺の太鼓が鳴り出した。初冬の日はもう斜である。 わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵をかえした。昭和廿二年十二月・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ことに先生は自分の教えてきた日本の学生がいちばん好きらしくみえる。私が十五日の晩に、先生の家を辞して帰ろうとした時、自分は今日本を去るに臨んで、ただ簡単に自分の朋友、ことに自分の指導を受けた学生に、「さようならごきげんよう」という一句を残し・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・モンテーンがフランス人にこういう物の見方考え方を教えたともいえるであろう。そこからラ・ブリュイエルやヴォーヴナルグなどのいわゆるモラリストへ行くこともできるが、途はメーン・ドゥ・ビランやベルグソンの哲学へも通ずるのである。 京都へ来・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
出典:青空文庫