・・・その次の時間に先生が教壇に現われて、この悲しむべき事実を報告されたのであったが、その時の先生は実にがっかりしたような困り切ったような悲痛な顔をしておられた。あんなやさしい問題ができないのは実に不思議だと言われるのであった。生徒一同もすっかり・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・こんな時には大股で教壇を下りて余らの前へ髯だらけの顔を持ってくる。もし余らの前に欠席者でもあって、一脚の机が空いていれば、必ずその上へ腰を掛ける。そうして例のガウンの袖口に着いている黄色い紐を引張って、一尺程の長さを拵らえて置いて、それでぴ・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・先生は教壇に上り、腰から煙草入を取り出し、徐に一服ふかして、それから講義を始められることなどもあった。私共の三年の時に、ケーベル先生が来られた。先生はその頃もう四十を越えておられ、一見哲学者らしく、前任者とコントラストであった。最初にショー・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・そこの先生は私のまだあわない方で実にしゃれたなりをして頭の銀毛などもごく高尚なドイツ刈りに白のモオニングを着て教壇に立っていました。もちろん教壇のうしろの茨の壁には黒板もかかり、先生の前にはテーブルがあり、生徒はみなで十五人ばかり、きちんと・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・〕そして教壇へ行ってテーブルの上の白墨をとっていまの運算を書きつけたのです。そのとき慶助は顔をまっ赤にして半分立ったまま自分の席でもじもじしていました。キッコは9の字などはどうも少しなまずのひげのようになってうまくないと思いながらおりて来た・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
・・・ 教壇の未亡人 勇士の未亡人で、新しい生活の道を教壇に見出したひとたちが、いよいよ一ヵ年の師範教育を終えて、九段の対面もすました。 百数十名のこれらの健康な夫人たち若い母たちが、子供と共に経験したこの一年に・・・ 宮本百合子 「女性週評」
・・・首を横にしてそっちを眺めるような位置に、一人、男の教師がいて、椅子にかけている。教壇も何もない。机が彼の前に一つあるぎりだ。一番戸に近い側の女たちは、後の本棚と机との狭い間できゅうくつそうに床几にかけ、しかもそんなことには頓着しない風で、一・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・そしたら担任の女先生が、一時間目の授業が終るとすぐ、一寸のこっていらっしゃいといわれ、皆が列をつくって庭に出て行ってしまったあとのがらんとした教室の教壇の下で、髪についていわれた。誰もそんな髪はしていませんよ、大変目立つ髪ですね。あんな目立・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 私が一番初め千葉先生を教壇に見たのは、四年の西洋歴史の時からであった。 一体、女子高等師範と云う学校は、現在どう改善したか知らないがあの当時は、実に妙な、非人間的な雰囲気を持ったものであった。本校の生徒と云うと、皆、四方八方から体・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
出典:青空文庫