・・・ この三四ヵ月程の間に、彼は三四の友人から、五円程宛金を借り散らして、それが返せなかったので、すべてそういう友人の方面からは小田という人間は封じられて了って、最後にKひとりが残された彼の友人であった。で「小田は十銭持つと、渋谷へばかし行・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・日の射し込んでいる郵便局は絶えず扉が鳴り、人びとは朝の新鮮な空気を撒き散らしていた。堯は永い間こんな空気に接しなかったような気がした。 彼は細い坂を緩りゆっくり登った。山茶花の花ややつでの花が咲いていた。堯は十二月になっても蝶がいるのに・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・と顔は早くも淡紅を散らして、いやな父様だよ。と帯締めの打紐を解きつ結びつ。 綱雄といえば旅行先から、帰りがけにここへ立ち寄ると言ってよこしたが、お前はさぞ嬉しかろうなとからかい出す善平、またそのようなことを、もう私は存じませぬ、と光代は・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・川村の組は勝手にふざけ散らして先へ行く、大友とお正は相並んで静かに歩む、夜は冷々として既に膚寒く覚ゆる程の季節ゆえ、渓流に沿う町はひっそりとして客らしき者の影さえ見えず、月は冴えに冴えて岩に激する流れは雪のようである。 大友とお正は何時・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・君が画板を持って郊外をうろつきまわっているように、僕はこの詩集を懐にし佐伯の山野を歩き散らしたが、僕は今もその時の事を思いだすと何だか懐かしくって涙がこぼれるような気がするよ』と自分はよい相手を見つけたので、さっきから独りで憶い浮かべていた・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・彼の靴は、固い雪を蹴散らした。いっぱいに拡がった鼻の孔は、凍った空気をかみ殺すように吸いこみ、それから、その代りに、もうもうと蒸気を吐き出した。 彼は、屈辱と憤怒に背が焦げそうだった。それを、やっと我慢して押しこらえていた。そして、本部・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・森の中にはカルムイコフが捕虜を殺したあとを分らなくするために血に染った雪を靴で蹴散らしてあった。その附近には、大きいのや、小さいのや、いろいろな靴のあとが雪の上に無数に入り乱れて印されていた。森をなお、奥の方へ二つの靴が、全力をあげて馳せ逃・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・すると磯九郎は自分が大手柄でも仕たように威張り散らして、頭を振り立てて種々の事を饒舌り、終に酒に酔って管を巻き大気焔を吐き、挙句には小文吾が辞退して取らぬ謝礼の十貫文を独り合点で受け取って、いささか膂力のあるのを自慢に酔に乗じてその重いのを・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。四尺七寸である。けれども、決して、みっともないものではなかった。なかなかである。深夜、裸形で・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・いつも寝ころんで読み散らしている、甚だ態度が悪い。だから、諸君もそのまま、寝ころんだままで、私と一緒に読むがよい。端坐されては困るのである。 ここに、鴎外の全集があります。これが、よそから借りて来たものであるということは、まえに言いまし・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫