・・・ また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘々しい心を持ちます。これもどうかすると変に人びとのアラを捜しているようになるのです。学生の間に流行っているらしい太いズボン、変にべたっとした赤靴。その他。その他。私の弱った身体にかなわない・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・いや、そういう君の上品ぶりの古陋頑迷、それから各々ひらき直って、いったい君の小説――云云と、おたがいの腹の底のどこかしらで、ゆるせぬ反撥、しのびがたき敵意、あの小説は、なんだい、とてんから認めていなかったのだから、うまく折合う道理はなし、或・・・ 太宰治 「喝采」
・・・こんどは、本心から、この少年に敵意を感じた。 第二回 決意したのである。この少年の傲慢無礼を、打擲してしまおうと決意した。そうと決意すれば、私もかなりに兇悪酷冷の男になり得るつもりであった。私は馬鹿に似ているが、・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・お互いにまだ友人になりきれずにいる新入生たちは、教室のおのおのの机に坐ってブルウル氏を待ちつつ、敵意に燃える瞳を煙草のけむりのかげからひそかに投げつけ合った。寒そうに細い肩をすぼませて教室へはいって来たブルウル氏は、やがてほろにがく微笑みつ・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・ふだんは気の弱そうな愛嬌のいい人であったが、その時、僕の顔をちらと見た眼つきは、憎悪と言おうか、敵意と言おうか、何とも言えない実におそろしい光りを帯びていた。僕は、ぎょっとした。 ツネちゃんの怪我はすぐ治って、この事件は、べつだん療養所・・・ 太宰治 「雀」
・・・やはり雪は、私の傍を離れなかったけれど、他のお客に対する私の敵意が、私をすこし饒舌にした。場のにぎやかな空気が私を浮き浮きさせたからでもあったろう。「君、僕の昨日のとこね、あれ、君、僕を馬鹿だと思ったろう。」「いいえ。」雪は頬を両手・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・従来はよその猫を見るとおかしいほどに恐れて敵意を示していたのが、どうした事か見知らぬ猫と庭のすみをあるいているのを見かける事もあった。一日あるいはどうかするとそれ以上も姿を隠す事があった。始めはもしや猫殺しの手にでもかかったのではないかと心・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・そのかわり社交的技巧の底にかくれた敵意や打算に対してかなりに敏感であったことは先生の作品を見てもわかるのである。「虞美人草」を書いていたころに、自分の研究をしている実験室を見せろと言われるので、一日学校へ案内して地下室の実験装置を見せて・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・くろい、あごのしゃくれた小さい顔は、あらわに敵意をみせていた。女は一度もふりむかないけれど、うしろを意識している気ぶりは、うしろ姿のどこにもあらわれている。裾をけひらくような特徴のある歩き方、紅と紫のあわせ帯をしているすらッとした腰のへん。・・・ 徳永直 「白い道」
・・・その上僕の風変りな性格が、小学生時代から仲間の子供とちがって居たので、学校では一人だけ除け物にされ、いつも周囲から冷たい敵意で憎まれて居た。学校時代のことを考えると、今でも寒々とした悪感が走るほどである。その頃の生徒や教師に対して、一人一人・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
出典:青空文庫