・・・と同時に不思議な香の匂が、町の敷石にも滲みる程、どこからか静に漂って来ました。 四 その時あの印度人の婆さんは、ランプを消した二階の部屋の机に、魔法の書物を拡げながら、頻に呪文を唱えていました。書物は香炉の火の光に、・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・こう敷石があって、まん中に何だか梧桐みたいな木が立っているんです。両側はずっと西洋館でしてね。ただ、写真が古いせいか、一体に夕方みたいにうすぼんやり黄いろくって、その家や木がみんな妙にぶるぶるふるえていて――そりゃさびしい景色なんです。そこ・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・ 白はちょいと空を見てから、静かに敷石の上を歩き出しました。空にはカフェの屋根のはずれに、三日月もそろそろ光り出しています。「おじさん。おじさん。おじさんと云えば!」 子犬は悲しそうに鼻を鳴らしました。「じゃ名前だけ聞かして・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ 僕は先に立って門の中へはいった。敷石を挟んだ松の下には姫路茸などもかすかに赤らんでいた。「この別荘を持っている人も震災以来来なくなったんだね。……」 するとT君は考え深そうに玄関前の萩に目をやった後、こう僕の言葉に反対した。・・・ 芥川竜之介 「悠々荘」
・・・会衆の動揺は一時に鎮って座席を持たない平民たちは敷石の上に跪いた。開け放した窓からは、柔かい春の光と空気とが流れこんで、壁に垂れ下った旗や旒を静かになぶった。クララはふと眼をあげて祭壇を見た。花に埋められ香をたきこめられてビザンチン型の古い・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・そして最後の一瞥を例の眠たげな、鼠色の娘の目にくれて置いて、灰色の朝霧の立ち籠めている、湿った停車場の敷石の上に降りた。 * * *「もう五分で六時だ。さあ、時間だ。」検事はこ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・その玄関の燈を背に、芝草と、植込の小松の中の敷石を、三人が道なりに少し畝って伝って、石造の門にかかげた、石ぼやの門燈に、影を黒く、段を降りて砂道へ出た。が、すぐ町から小半町引込んだ坂で、一方は畑になり、一方は宿の囲の石垣が長く続くばかりで、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ とのっけから、「ちょいと旦那、この敷石の道の工合は、河岸じゃありませんね、五十間。しゃっぽの旦那は、金やろかいじゃあない……何だっけ……銭とるめんでしょう、その口から、お師匠さん、あれ、恥かしい。」 と片袖をわざと顔にあてて俯・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ びしゃびしゃ……水だらけの湿っぽい井戸端を、草履か、跣足か、沈んで踏んで、陰気に手水鉢の柱に縋って、そこで息を吐く、肩を一つ揺ったが、敷石の上へ、蹌踉々々。 口を開いて、唇赤く、パッと蝋の火を吸った形の、正面の鰐口の下へ、髯のもじ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・その時は濡れたような真黒な暗夜だったから、その灯で松の葉もすらすらと透通るように青く見えたが、今は、恰も曇った一面の銀泥に描いた墨絵のようだと、熟と見ながら、敷石を蹈んだが、カラリカラリと日和下駄の音の冴えるのが耳に入って、フと立留った。・・・ 泉鏡花 「星あかり」
出典:青空文庫