・・・それ故、文章を作らしたらカラ駄目で、とても硯友社の読者の靴の紐を結ぶにも足りなかったが、其磧以後の小説を一と通り漁り尽した私は硯友社諸君の器用な文才には敬服しても造詣の底は見え透いた気がして円朝の人情噺以上に動かされなかった。古人の作や一知・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・私は志賀直哉の新しさも、その禀質も、小説の気品を美術品の如く観賞し得る高さにまで引きあげた努力も、口語文で成し得る簡潔な文章の一つの見本として、素人にも文章勉強の便宜を与えた文才も、大いに認める。この点では志賀直哉の功を認めるに吝かではない・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ よき文学は、叙述のうまさや、文才だけによっては生れない。また、記録的素材だけによっては生れない。このことは水野広徳の「此一戦」についても云われるだろう。第五章 結語、西欧の戦争文学との比較、戦争文学の困難 以上のほか、・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・君には文才があるようだから、プロレタリヤ文学をやって、原稿料を取り党の資金にするようにしてみないか、と同志に言われて、匿名で書いてみた事もあったが、書きながら眼がしらが熱くなって来て、ものにならなかった。(この頃、ジャズ文学というのがあって・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・詩人は、美濃の此のような多少の文才も愛しているし、また、こんな物語を独りでこっそり書いている美濃の身の上を、不憫にも思うのだが、けれども、美濃のこんどの無法な新手の恋愛には、わざと気づかぬ振りをしていようと思った。「まるで、映画物語じゃない・・・ 太宰治 「古典風」
・・・女の子の文才なんて、たかの知れたものです。一時の、もの珍らしさから騒がれ、そうして一生を台無しにされるだけの事です。和子だって、こわがっているのです。女の子は、平凡に嫁いで、いいお母さんになるのが一ばん立派な生きかたです。お前たちは、和子を・・・ 太宰治 「千代女」
・・・私には所謂、文才というものは無い。からだごと、ぶっつけて行くより、てを知らなかった。野暮天である。一宿一飯の恩義などという固苦しい道徳に悪くこだわって、やり切れなくなり、逆にやけくそに破廉恥ばかり働く類である。私は厳しい保守的な家に育った。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・次女は、長男の文才を軽蔑し果てたというような、おどけた表情をして、わざと拍手をしたりした。生意気なやつである。 全部、読み終った頃には、祖父は既に程度を越えて酔っていた。うまい、皆うまい、なかでもルミがうまかった、とやはり次女を贔屓した・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・わたくしはその頃既に近代仏蘭西の小説を多く読んでいた事については、窃に人後に落ちないと思っていたが、しかしいざ筆を取って見ると文才と共に思想の足りない事を知って往々絶望していたこともあった。まだ巴里にあった頃わたくしは日本の一友人から、君は・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学等を知らしむべし。・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
出典:青空文庫