・・・沼南が大隈参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部権大書記官の栄位を弊履の如く一蹴して野に下り、矢野文雄や小野梓と並んで改進党の三領袖として声望隆々とした頃の先夫人は才貌双絶の艶名を鳴らしたもんだった。 その頃私は番町の島田邸・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・パデレフスキーも日本に生れたら大統領は魯か文部の長官にだって選ばれそうもない。ダンヌンチオも日本だったら義兵を募る事も軍資を作る事も決して出来なかったろう。西洋では詩人や小説家の国務大臣や商売人は一向珍らしくないが、日本では詩人や小説家では・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・最高学府たる帝国大学に対しては民間私学は顔色なき中に優に大学と拮抗して覇を立つるに足るは実業における三田と文学における早稲田とで、この早稲田の文学をしてシカク威力あらしめたるは一に坪内君の功労である。文部大臣が三君の中先ず第一に坪内君を擢ん・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・今なら文部省に睨まれ教育界から顰蹙される頗る放胆な自由恋愛説が官学の中から鼓吹され、当の文部大臣の家庭に三角恋愛の破綻を生じた如き、当時の欧化熱は今どころじゃなかった。 先年侯井上が薨去した時、侯の憶い出咄として新聞紙面を賑わしたのはこ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そこで、あわてて文部大臣賞というものを特に作って、それを寿子に与えることにして、主催者側はやっと満足した。それほどの素晴しい出来栄えだったのである。 審査に立ち合ったクロイツァーは、「自分は十三歳のエルマンの演奏を聴いたことがあるが・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・また文部省内には教育映画に関する調査委員会のようなものが設けられてあるそうであるが、その業績として世間一般に広く認められているものはないようである。 しかしこの問題は現在考えられているよりはもっともっと重大な問題であって、当局者は勿論日・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。 翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出し・・・ 夏目漱石 「博士問題の成行」
・・・ たとえば今の日本政府にていえば、大蔵の官吏、必ずしも経済学を執行したる者に非ず、文部の官吏、必ずしも教育論を研究したるに非ざるも、その実際に事のあがるは今日の如し。ひっきょう、経世は活学にして、当局者が局にあたりて後の練磨なり、決して・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
過般、榎本文部大臣が地方官に向って徳育の事を語り、大臣は儒教主義をとる者にして、いずれ近日儒教の要を取捨して、学生のために一書を編纂せしむべしとのことなり。然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・すべての人々に訴えるこれらのたたかいの成果におそれて、労働組合、言論機関、芸能人ばかりでなく、教授と学生への思想抑圧、レッド・パージがおこった。文部、法務、特審関係、どこを見てもその指導的地位にいるものは、大学の第何期生かであり先輩である。・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
出典:青空文庫