・・・…… 寛文十年陰暦十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に上った。彼の振分けの行李の中には、求馬左近甚太夫の三人の遺髪がはいっていた。 後談 寛文十一年の正月、雲州松江祥光院の墓所には、四基の石塔・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ しかし、これでもまだ、故郷までの全旅程の三分の一くらいしか来ていないのである。読者も、うんざりするだろう。あとまたいろいろ悲惨な思いをしたのであるが、もう書かない。とにかく、そんな思いをして故郷にたどりついてみると、故郷はまた艦載機の・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・はいって行って五所川原駅で降りて、それからいよいよ津軽鉄道に乗りかえて生れ故郷の金木という町にたどり着くという段取りであったのですが、思えば前途雲煙のかなたにあり、うまくいっても三昼夜はたっぷりかかる旅程なのです。トマトと桃の恵投にあずかり・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ チルナウエルの旅程が遠くなればなる程、跡に残っている連中の悪口はひどくなる。もう幾月か立ったので、なんに附けても悪く言う。葉書が来ない。そりゃ高慢になった。来た。そりゃ見せびらかす。チルナウエルの身になっては、どうして好いか分からない・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 六、風と草穂 九月一日の朝わたくしは、旅程表やいろいろな報告を持って、きまった時間に役所に出ました。わたくしはみんなにも挨拶して廻り、所長が出て来るや否や、その扉をノックしてはいって行きました。「あ帰ったか・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫