・・・ステッキを振って日比谷のほうへ、ぶらぶら歩いた。たそがれである。うすら寒かった。はき馴れぬフェルト草履で、歩きにくいように見えた。日比谷。すきやばし。尾張町。 こんどはステッキをずるずる引きずって、銀座を歩いた。何も見なかった。ぼんやり・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・午前に本郷で吸った煙草の煙の数億万の粒子のうちの一つくらいは、午後に日比谷で逢った驟雨の雨滴の一つに這入っているかもそれは知れないであろう。 喫煙家は考えようでは製煙機械のようなものである。一日に紙巻二十本の割で四十年吸ったとすると合計・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・それから人力にゆられて夜ふけの日比谷御門をぬけ、暗いさびしい寒い練兵場わきの濠端を抜けて中六番町の住み家へ帰って行った。その暗い丸の内の闇の中のところどころに高くそびえたアーク燈が燦爛たる紫色の光を出してまたたいていたような気がする。そのこ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・そうしてぶらぶら歩いて日比谷へんまで来るとなんだかそのへんの様子が平時とはちがうような気がした。公園の木立ちも行きかう電車もすべての常住的なものがひどく美しく明るく愉快なもののように思われ、歩いている人間がみんな頼もしく見え、要するにこの世・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ 話はちがうが、せんだって日比谷で「花壇展覧会」というものがあった。いろいろのばらがあった中に、柱作りの紅ばらのみごとなのが数株並んでいた。燃えるような緋紅色の花と紫がかった花とがおもしろく入り交じって愉快な見ものであった。なんという名・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
一 日比谷から鶴見へ 夏のある朝築地まで用があって電車で出掛けた。日比谷で乗換える時に時計を見ると、まだ少し予定の時刻より早過ぎたから、ちょっと公園へはいってみた。秋草などのある広場へ出てみると、カンナや・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・いずれ芝か麻布へんから来たものとすれば、たとえば日比谷へんで多数の人のいる所で道を聞いてもよさそうなものである。それがこのさびしい夜の仲通りを、しかも東から西へ向かって歩きながら、たまたま出会った自分に亀井戸への道を聞くのは少しおかしいよう・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ ある日の午前に日比谷近く帝国ホテルの窓下を通った物売りの呼び声が、丁度偶然そのときそこに泊り合わせていた楽聖クライスラーの作曲のテーマになったという話があったようである。自分の怪しう物狂おしいこの一篇の放言がもしやそれと似たような役に・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・もし当局者が無暗に堰かなかったならば、数年前の日比谷焼打事件はなかったであろう。もし政府が神経質で依怙地になって社会主義者を堰かなかったならば、今度の事件も無かったであろう。しかしながら不幸にして皇后陛下は沼津に御出になり、物の役に立つべき・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・それを越して霞ヶ関、日比谷、丸の内を見晴す景色と、芝公園の森に対して品川湾の一部と、また眼の下なる汐留の堀割から引続いて、お浜御殿の深い木立と城門の白壁を望む景色とは、季節や時間の工合によっては、随分見飽きないほどに美しい事がある。 遠・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫