・・・ 二条ばかりも重って、美しい婦の虐げられた――旧藩の頃にはどこでもあり来りだが――伝説があるからで。 通道というでもなし、花はこの近処に名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜るものはない。日中もほとんど人通りはない。妙齢の娘でも見・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ と半分目を眠って、盲目がするように、白眼で首を据えて、天井を恐ろしげに視めながら、「ものはあるげにござりまして……旧藩頃の先主人が、夜学の端に承わります。昔その唐の都の大道を、一時、その何でござりまして、怪しげな道人が、髪を捌いて・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ すべて旧藩侯の庭園だ、と言うにつけても、贈主なる貴公子の面影さえ浮ぶ、伯爵の鸚鵡を何としょう。 霊廟の土の瘧を落し、秘符の威徳の鬼を追うよう、たちどころに坊主の虫歯を癒したはさることながら、路々も悪臭さの消えないばかりか、口中の臭・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・残っている者は旧藩の士族で、いくらかの恩給をもらっている廃吏ばかりになった。 なぜかなら、その村は、殿様が追い詰められた時に、逃げ込んで無理にこしらえた山中の一村であったから、なんにも産業というものがなかった。 で、中学の存在によっ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
旧藩情緒言一、人の世を渡るはなお舟に乗て海を渡るがごとし。舟中の人もとより舟と共に運動を與にすといえども、動もすれば自から運動の遅速方向に心付かざること多し。ただ岸上より望観する者にして始てその精密なる趣を知る・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・昔年、馬に乗れば切捨てられたる百姓町人の少年輩が、今日借馬に乗て飛廻わり、誤って旧藩地の士族を踏殺すも、法律においてはただ罰金の沙汰あらんのみ。 また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・翌年七十一で旧藩の桜田邸に移り、七十三のときまた土手三番町に移った。 仲平の亡くなったのは、七十八の年の九月二十三日である。謙助と淑子との間に出来た、十歳の孫千菊が家を継いだ。千菊の夭折したあとは小太郎の二男三郎が立てた。大正三年四・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫